・・・七の数が累なって、人死も夥多しかった。伝説じみるが事実である。が、その時さえこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―― もっとも、話の中の川堤の松並木が、やがて柳になって、町の目貫へ続く処に、木造の大橋が・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・刺戟の強い色を競った、夥多の看板の中にも、そのくらい目を引いたのは無かったと思う。 続き、上下におよそ三四十枚、極彩色の絵看板、雲には銀砂子、襖に黄金箔、引手に朱の総を提げるまで手を籠めた……芝居がかりの五十三次。 岡崎の化猫が、白・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 中にも、こども服のノーテイ少女、モダン仕立ノーテイ少年の、跋扈跳梁は夥多しい。…… おなじ少年が、しばらくの間に、一度は膝を跨ぎ、一度は脇腹を小突き、三度目には腰を蹴つけた。目まぐろしく湯呑所へ通ったのである。 一樹が、あの、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・稲も、畠も、夥多しい洪水のあとである。 道を切って、街道を横に瀬をつくる、流に迷って、根こそぎ倒れた並木の松を、丸木橋とよりは筏に蹈んで、心細さに見返ると、車夫はなお手廂して立っていた。 翼をいためた燕の、ひとり地ずれに辿るのを、あ・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ 御存じの通り、稲塚、稲田、粟黍の実る時は、平家の大軍を走らした水鳥ほどの羽音を立てて、畷行き、畔行くものを驚かす、夥多しい群団をなす。鳴子も引板も、半ば――これがための備だと思う。むかしのもの語にも、年月の経る間には、おなじ背戸に、孫も彦・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 島には鎌倉殿の定紋ついた帷幕を引繞らして、威儀を正した夥多の神官が詰めた。紫玉は、さきほどからここに控えたのである。 あの、底知れずの水に浮いた御幣は、やがて壇に登るべき立女形に対して目触りだ、と逸早く取退けさせ、樹立さしいでて蔭・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・この月二十日の修善寺の、あの大師講の時ですがね、――お宅の傍の虎渓橋正面の寺の石段の真中へ――夥多い参詣だから、上下の仕切がつきましょう。」「いかにも。」「あれを青竹一本で渡したんですが、丈といい、その見事さ、かこみの太さといっちゃ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗がまじって、女郎花のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉も落ちず露がしたたる。 時に、腹帯・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 市場を出た処の、乾物屋と思う軒に、真紅な蕃椒が夥多しい。……新開ながら老舗と見える。わかめ、あらめ、ひじきなど、磯の香も芬とした。が、それが時雨でも誘いそうに、薄暗い店の天井は、輪にかがって、棒にして、揃えて掛けた、車麩で一杯であった・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 色も空も一淀みする、この日溜りの三角畑の上ばかり、雲の瀬に紅の葉が柵むように、夥多しく赤蜻蛉が群れていた。――出会ったり、別れたり、上下にスッと飛んだり。あの、紅また薄紅、うつくしい小さな天女の、水晶の翼は、きらきらと輝くのだけれど、・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
出典:青空文庫