・・・朝日が母屋の上からさしていて、雨戸を開けたらかっと眼のくらむ程明かった。 これから後のことを書くのは、予は不快に堪えない。しかし書かねば此文章のまとまりがつかぬ、いやでも書かねばならない。予は自分で雨戸をくり、自分で寝具を片づけ、ぼんや・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 吉弥はかっと顔を赤くして、立ちあがった。そのまま下へ行って、僕のおこっていることを言い、湯屋で見たことを妬いているのだということがもしも下のものらに分ったら、僕一生の男を下げるのだと心配したから、「おい、おい!」と命令するような強・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・道行く人の顔がはっきり見えぬほど恥しかったが、それでも下宿で寝ている照枝のことを想うと、仰々しくかっと眼をひらいて、手、手相はいかがです。松本に似た男を見ると、あわただしく首をふった。けれども松本のことは照枝にきかず、照枝も言わず、照枝がほ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 京一は、眼が急にかっと光ったように思った。すると、それから頭の芯がじいんと鳴りだした。痛みが頭の先端から始まって、ずっと耳の上まで伝ってきた――皆は、まだ笑っている。急に、泣きたいと思わぬのに涙が出て来た。彼は、涙を他人に見られまいと・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・ その時どうしたのだか知らないが、忽ち向うの白けた空の背景の上に鼠色の山の峯が七つ見えているあたりに、かっと日に照らされた、手の平ほどの処が見えて来た。その処は牧場である。緩傾斜をなして、一方から並木で囲まれている。山のよほど高い処にあ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・博士はマッチの火で、とろとろ辻占の紙を焙り、酔眼をかっと見ひらいて、注視しますと、はじめは、なんだか模様のようで、心もとなく思われましたが、そのうちに、だんだん明確に、古風な字体の、ひら仮名が、ありありと紙に現われました。読んでみます。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・異様な憤怒で、かっとなった。あらあらしく手首をつかんで脈をしらべた。かすかに脈搏が感じられた。生きている。生きている。胸に手をいれてみた。温かった。なあんだ。ばかなやつ。生きていやがる。偉いぞ、偉いぞ。ずいぶん、いとしく思われた。あれくらい・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・ ヘロインは、ふらふら立って鎧扉を押しあける。かっと烈日、どっと黄塵。からっ風が、ばたん、と入口のドアを開け放つ。つづいて、ちかくの扉が、ばたんばたん、ばたんばたん、十も二十も、際限なく開閉。私は、ごみっぽい雑巾で顔をさかさに撫でられた・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・に、さし画でもカットでも何でも描かせてほしいと顔を赤らめ、おどおどしながら申し出たのを可愛く思い、わずかずつ彼女の生計を助けてやる事にしたのである。物腰がやわらかで、無口で、そうして、ひどい泣き虫の女であった。けれども、吠え狂うような、はし・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・全身かっと熱くなった。「親子どんぶりは、いくらだね。」下等な質問であった。「五十銭でございます。」「それでは、親子どんぶり一つだ。一つでいい。それから、番茶を一ぱい下さい。」「ちえっ、」少年は躊躇なく私をせせら笑った。「ちゃっか・・・ 太宰治 「乞食学生」
出典:青空文庫