・・・ かつまた当時は塞外の馬の必死に交尾を求めながら、縦横に駈けまわる時期である。して見れば彼の馬の脚がじっとしているのに忍びなかったのも同情に価すると言わなければならぬ。…… この解釈の是非はともかく、半三郎は当日会社にいた時も、舞踏か何・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・「この国の霊と戦うのは、思ったよりもっと困難らしい。勝つか、それともまた負けるか、――」 するとその時彼の耳に、こう云う囁きを送るものがあった。「負けですよ!」 オルガンティノは気味悪そうに、声のした方を透かして見た。が、そ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・つまりあらゆる情熱は死よりも強いものなのであろう。且つ又恋はそう云うもののうちでも、特に死よりも強いかどうか、迂濶に断言は出来ないらしい。一見、死よりも強い恋と見做され易い場合さえ、実は我我を支配しているのは仏蘭西人の所謂ボヴァリスムである・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。 我我は互に憐まなければならぬ。ショオペンハウエルの厭世観の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか? 夜はもう十二時を過ぎたらしい。星も相不・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水も遊ばされず、且つ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、諸々の仏神も不浄を忌んで、このあたりへは現ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得た・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・が、どういうものか、その夜に限って、ふだんは格別骨牌上手でもない私が、嘘のようにどんどん勝つのです。するとまた妙なもので、始は気のりもしなかったのが、だんだん面白くなり始めて、ものの十分とたたない内に、いつか私は一切を忘れて、熱心に骨牌を引・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ 私はかつて、この衝動の醇化された表現が芸術だといった。この立場からいうならば、すべての人はこの衝動を持っているがゆえにブルジョアジーとかプロレタリアートとかを超越したところに芸術は存在すべきである。けれども私は衝動がそのまま芸術の萌芽・・・ 有島武郎 「想片」
・・・我々日本の青年はいまだかつてかの強権に対して何らの確執をも醸したことがないのである。したがって国家が我々にとって怨敵となるべき機会もいまだかつてなかったのである。そうしてここに我々が論者の不注意に対して是正を試みるのは、けだし、今日の我々に・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・個人が社会と戦い、青年が老人と戦い、進取と自由が保守と執着に組みつき、新らしき者が旧き者と鎬を削る。勝つ者は青史の天に星と化して、芳ばしき天才の輝きが万世に光被する。敗れて地に塗れた者は、尽きざる恨みを残して、長しなえに有情の人を泣かしめる・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ さて心がら鬼のごとき目をみひらくと、余り強く面を圧していた、ためであろう、襖一重の座敷で、二人ばかりの女中と言葉を交わす夫人の声が、遠く聞えて、遥に且つ幽に、しかも細く、耳の端について、震えるよう。 それも心細く、その言う処を確め・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
出典:青空文庫