僕の十四の時であった。僕の村に大沢先生という老人が住んでいたと仮定したまえ。イヤサ事実だが試みにそう仮定せよということサ。 この老人の頑固さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人相手にする者がないのでわかる。地下の百姓・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・けれどもその家庭にはいつも多少の山気が浮動していたという証拠には、正作がある日僕に向かって、宅には田中鶴吉の手紙があると得意らしく語ったことがある。その理由は、桂の父が、当時世間の大評判であった田中鶴吉の小笠原拓殖事業にひどく感服して、わざ・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・子どもを可愛がる夫婦というのはよそ目にも美しく、その家庭は安泰な感じがするものだ。 人間は社会生活をして生きているから、夫婦の生活をささえ子どもを養、教育していくことは生活の「たたかい」を意味する。この闘いに協同戦線を張って助け合うこと・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・自分の如きもその過程をとった一人であった。 上述の如く倫理学の研究にはまず人生の事象についての、倫理的関心と情熱とが先行しなければならぬ。そしてその具体的研究の第一着手は倫理的な問いから発足しなければならぬ。問いはすべての初めである。し・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がした。海上生活者が港にあこがれ、陸を恋しがるように、彼等は、内地にあこがれ、家・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・鋳金の工作過程を実地にご覧に入れ、そして最後には出来上ったものを美術として美術学校から献上するという。そううまく行くべきものだか、どうだか。むかしも今も席画というがある、席画に美術を求めることの無理で愚なのは今は誰しも認めている。席上鋳金に・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・こういう家庭のありさまでしたから、近来私の一家族の中に、学校へ行くのに眼が覚めぬなどというもののあるのを聞くと、思わず知らず可笑しく思う位です。 学校へゆくほど面白いことは無いと思って居たため、小学校へ通って居る間一日も欠席したことは無・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ここに仮定した二点があるとして、二点を貫く曲線をブンマワシで書て見玉え、またそのブンマワシの心を動かして同くその二点を貫く曲線を書て見玉え、又そのブンマワシの心を動かして書て見玉え、有則の曲線が無数に書けるよ、実にその相互に異ったる状態を有・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。しかし千住から吾妻橋、厩橋、両国から大橋、永代と下って行くと仮定すると、随分夜中に川へ出て漁猟をして居る人が沢山ある。尤も冬などは沢山は出て居・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・そのころの太郎はようやく小学の課程を終わりかけるほどで、次郎はまだ腕白盛りの少年であった。私は愛宕下のある宿屋にいた。二部屋あるその宿屋の離れ座敷を借り切って、太郎と次郎の二人だけをそこから学校へ通わせた。食事のたびには宿の女中がチャブ台な・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫