・・・ それから三四日経ったある雨の夜、加納平太郎と云う同家中の侍が、西岸寺の塀外で暗打ちに遇った。平太郎は知行二百石の側役で、算筆に達した老人であったが、平生の行状から推して見ても、恨を受けるような人物では決してなかった。が、翌日瀬沼兵衛の・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・軸は狩野派が描いたらしい、伏羲文王周公孔子の四大聖人の画像だった。「惟皇たる上帝、宇宙の神聖、この宝香を聞いて、願くは降臨を賜え。――猶予未だ決せず、疑う所は神霊に質す。請う、皇愍を垂れて、速に吉凶を示し給え。」 そんな祭文が終って・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・わたしは現に時とすると、攀じ難い峯の頂を窮め、越え難い海の浪を渡り――云わば不可能を可能にする夢を見ることがございます。そう云う夢を見ている時程、空恐しいことはございません。わたしは竜と闘うように、この夢と闘うのに苦しんで居ります。どうか英・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・僕の叔母は狩野勝玉という芳崖の乙弟子に縁づいていた。僕の叔父もまた裁判官だった雨谷に南画を学んでいた。しかし僕のなりたかったのはナポレオンの肖像だのライオンだのを描く洋画家だった。 僕が当時買い集めた西洋名画の写真版はいまだに何枚か残っ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・どうして、この創造的精力の奇怪な作用を、可能視なさる事が出来ましょう。それほど、私が閣下の御留意を請いたいと思う事実には不可思議な性質が加わっているのでございます。ですから、私は以上のお願いを敢て致しました。猶これから書く事も、あるいは冗漫・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・衝動の醇化ということが不可能であるをもって、この二つに一つのいずれかを選ぶほかはない。私はブルジョア階級の崩壊を信ずるもので、それが第四階級に融合されて無階級の社会の現出されるであろうことを考えるものであるけれども、そしてそういう立場にある・・・ 有島武郎 「想片」
・・・お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。 お前たちは去年・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・お嬢さんの存在が悪いんじゃない、その存在を可能ならしめた堂脇のじじいの存在していたのが悪いんだ。つまり堂脇のじじいが僕たちの運命をすっかり狂わしてしまったんだよ……どうだ少しドモ又に似てきたか……他人の運命を狂わした罪科に対して、堂脇は存分・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ ところでその金屏風の絵が、極彩色の狩野の何某在銘で、玄宗皇帝が同じ榻子に、楊貴妃ともたれ合って、笛を吹いている処だから余程可笑しい。 それは次のような場合であった。 客が、加賀国山代温泉のこの近江屋へ着いたのは、当日午少し下る・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ 洪水の襲撃を受けて、失うところの大なるを悵恨するよりは、一方のかこみを打破った奮闘の勇気に快味を覚ゆる時期である。化膿せる腫物を切開した後の痛快は、やや自分の今に近い。打撃はもとより深酷であるが、きびきびと問題を解決して、総ての懊悩を・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
出典:青空文庫