・・・ 一 秋の中過、冬近くなると何れの海浜を問ず、大方は淋れて来る、鎌倉も其通りで、自分のように年中住んで居る者の外は、浜へ出て見ても、里の子、浦の子、地曳網の男、或は浜づたいに往通う行商を見るばかり、都人士らしい者の姿・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・海にかぎられていて鹿とてもさまで自由自在に逃げまわることはできない、また人里の方へは、すっかり、高い壁が石で築いてあって畑の荒らされないようにしてあるゆえ、その方へ逃げることもできない、さらにまた鹿の通う路はおよそ猟師に知れているから、たと・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・居た処が苦しいばかりだし、又た結局あの人も暫時は辛い目に遇て生育つのですから今時分から他人の間に出るのも宜かろうと思って、心を鬼にして出してやりました、辛抱が出来ればいいがと思って、……それ源ちゃんは斯様だし、今も彼の裁縫しながら色々なこと・・・ 国木田独歩 「二少女」
・・・イヤ、斯様に申しますと、えびす様の抱いていらっしゃるのは赤い鯛ではないか、変なことばかり言う人だと、また叱られますか知れませんが、これは野必大と申す博物の先生が申されたことです。第一えびす様が持っていられるようなああいう竿では赤い鯛は釣りま・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・夜半の頃おい神鳴り雨過ぎて枕に通う風も涼しきに、家居続ける東京ならねばこそと、半は夢心地に旅のおかしさを味う。 七日、朝いと夙く起き出でて、自ら戸を繰り外の方を見るに、天いと美わしく横雲のたなびける間に、なお昨夜の名残の電光す。涼しき中・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・というような料簡が日頃定まって居るので無ければ斯様は出来ぬところだが、男は引かるるままに中へ入った。 女は手ばしこく門を鎖した。佳い締り金物と見えて音も少く、しかもぴったりと厳重に鎖されたようだった。雲の余りの雪は又ちらちらと降って・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・り、各個人の衣食住も極めて高等・完全の域に達すると同時に、精神的にも常に平和・安楽にして、種々なる憂悲・苦労の為めに心身を損うが如きことなき世の中となれば、人は大抵其天寿を全くするを得るであろう、私は斯様な世の中が一日も速く来らんことを望む・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・こともよく合点しやがて本文通りなまじ同伴あるを邪魔と思うころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌のうちと単騎馳せ向いたるがさて行義よくては成りがたいがこの辺の辻占淡路島通う千鳥の幾夜となく音ずるるにあなたのお・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・内儀「何が困るたって、あなた此様に貧乏になりきりまして、実に世間体も恥かしい事で、斯様な裏長屋へ入って、あなたは平気でいらっしゃるけれども、明日食べますお米を買って炊くことが出来ませんよ」七「出来ないって、何うも仕方がない、お米が天・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・どれほどの冷たい風が毎日この子の通う研究所あたりまでも吹き回している事かと。私はまた、そう思った。あの米騒動以来、だれしもの心を揺り動かさずには置かないような時代の焦躁が、右も左もまだほんとうにはよくわからない三郎のような少年のところまでも・・・ 島崎藤村 「嵐」
出典:青空文庫