・・・ やがてあの魔法使いが、床の上にひれ伏したまま、嗄れた声を挙げた時には、妙子は椅子に坐りながら、殆ど生死も知らないように、いつかもうぐっすり寝入っていました。 五 妙子は勿論婆さんも、この魔法を使う所は、誰の眼に・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 彼の言葉は一度途絶えてから、また荒々しい嗄れ声になった。「お前だろう。誰だ、お前は?」 もう一人の陳彩は、しかし何とも答えなかった。その代りに眼を挙げて、悲しそうに相手の陳彩を眺めた。すると椅子の前の陳彩は、この視線に射すくま・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・が、不幸にしてそれが一度彼の口を出ると、何の意味も持っていない、嗄れた唸り声に変ってしまう。それほどもう彼は弱ってでもいたのであろう。「私ほどの不幸な人間はない。この若さにこんな所まで戦に来て、しかも犬のように訳もなく殺されてしまう。そ・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・ハンケチを巻き通した喉からは皺嗄れた声しか出なかった。働けば病気が重る事は知れきっていた。それを知りながらU氏は御祈祷を頼みにして、老母と二人の子供との生活を続けるために、勇ましく飽くまで働いた。そして病気が重ってから、なけなしの金を出して・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・一人児だから、時々飲んでいたんですが、食が少いから涸れがちなんです。私を仰向けにして、横合から胸をはだけて、……まだ袷、お雪さんの肌には微かに紅の気のちらついた、春の末でした。目をはずすまいとするから、弱腰を捻って、髷も鬢もひいやりと額にか・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ と、やけに突立つ膝がしらに、麦こがしの椀を炉の中へ突込んで、ぱっと立つ白い粉に、クシンと咽せたは可笑いが、手向の水の涸れたようで、見る目には、ものあわれ。 もくりと、掻落すように大木魚を膝に取って、「ぼっかり押孕んだ、しかも大・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・人ありてその齢を問いしに、渠は皺嗄れたる声して、七十八歳と答えき。 盲にして七十八歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、親不知の沖を越ゆべき船に乗りたるなり。衆人はその無法なるに愕けり。 渠は手も足も肉・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・雲は焚け、草は萎み、水は涸れ、人は喘ぐ時、一座の劇はさながら褥熱に対する氷のごとく、十万の市民に、一剤、清涼の気を齎らして剰余あった。 膚の白さも雪なれば、瞳も露の涼しい中にも、拳って座中の明星と称えられた村井紫玉が、「まあ……前刻・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・が、涸れて、寂しく、雲も星も宿らないで、一面に散込んだ柳の葉に、山谷の落葉を誘って、塚を築いたように見える。とすれば月が覗く。……覗くと、光がちらちらとさすので、水があるのを知って、影が光る、柳も化粧をするのである。分けて今年は暖さに枝垂れ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・ かく打ち謝罪るときしも、幼児は夢を破りて、睡眠のうちに忘れたる、饑えと寒さとを思い出し、あと泣き出だす声も疲労のために裏涸れたり。母は見るより人目も恥じず、慌てて乳房を含ませながら、「夜分のことでございますから、なにとぞ旦那様お慈・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
出典:青空文庫