・・・その煙突からいらだたしくジリジリと出る煙を見ても暑くて喉がかわく。道ばたを見るとそら色の朝顔が野生していた。…… 美しい緑の草原の中をまっかな点が動いて行くと思ったらインド人の頭巾であった。……町の並み木の影でシナの女がかわいい西洋人の・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 波頭が砂浜をはい上がって引いたすぐあとの湿った細砂の表面を足で踏むと、その周囲二三尺ほどの所が急にすうとかわくが、そのまま立ち止まっていると、すぐにまた湿って来ます。これはどういうわけかというと、砂粒が自然のままに落ち着いている時は、・・・ 寺田寅彦 「夏の小半日」
・・・それはこの咽喉がかわくような気持から三吉をすくってくれるのであったが、とたんに、三吉はあわてだす。昨夜から考えていること、彼女にむかって、何と最初にいいだせばいいだろう? ――深水から話があって、きょう三吉は彼女と「見合」するのである。・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 洗場の流は乾く間のない水のために青苔が生えて、触ったらぬらぬらしそうに輝っている。そして其処には使捨てた草楊枝の折れたのに、青いのや鼠色の啖唾が流れきらずに引掛っている。腐りかけた板ばめの上には蛞蝓の匐た跡がついている。何処からともな・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・白と黒の市松模様の油障子を天井にして、色とりどりの菊の花の着物をきせられた活人形が、芳しくしめっぽい花の香りと、人形のにかわくささを場内に漲らせ、拍子木につれてギーとまわる廻り舞台のよこに、これも出方姿の口上がいて、拍子木の片方でそっちを指・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・煤で光るたるきの下に大きな炉が一つ切ってあって、その炉の灰ばかりが、閉め切った雨戸の節穴からさし込む日光の温みにつれ、秋の末らしく湿り、また春の始めらしく軽く乾く。――微かな生きものだ。 侘しい古い家も、七月になると一時に雨戸という雨戸・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・大きいものは一まとめに袋に入れて、朝来ることに定めてある洗濯屋に渡し、小さい手巾とか、婦人用の襟飾、絹のブラウズと云うようなものは、皆、家で洗い、それが、乾くまで、必要な箇所を訪問します。四時頃には帰宅し、夕飯の準備をする迄、一時間半もかか・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・ そのわきにじかに置いた水桶のまわりは絶えて乾くと云う事はないらしくしめって不健康な土の香りとかびくささがいかにもじじむさい。 馬鈴薯と小麦、米などの少しばかりの俵は反対のすみにつみかさねられて赤くなった鍬だの鎌が、ぼろぼろになった・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・皮膚の弱いひろ子は、全く通風のない、びっしょり汗にぬれた肌も浴衣もかわくということのない監房の生活で、毛穴一つ一つに、こまかい赤い汗もが出来た。医者は、その汗もに歯みがき粉をつけておけと、云った。しまいに掌、足のうら、唇のまわりだけのこして・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・「少し早すぎましょう」「いいよ、もういいよ、咲くよ」 石川は、その辺にころがっている腐った球根でもかまわずもって行って土に埋めて見せた。「乾くといけないねえ、枯れると困るよ」 時候が時候だし芽の出ようはないのに、病人は楽・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫