・・・左に右く多くの二葉亭を知る人が会わない先きに風采閑雅な才子風の小説家型であると想像していたと反して、私は初めから爾うは思っていなかった。 秋の末に帰京すると、留守中の来訪者の名刺の中に意外にも長谷川辰之助の名を発見してあたかも酸を懐うて・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・春埃の路は、時どき調馬師に牽かれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせ・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・ 暗い冷たい石造の官衙の立ち並んでいる街の停留所。そこで彼は電車を待っていた。家へ帰ろうか賑やかな街へ出ようか、彼は迷っていた。どちらの決心もつかなかった。そして電車はいくら待ってもどちらからも来なかった。圧しつけるような暗い建築の陰影・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・しかしこれはむろん省かなくてはならぬ、なぜならば我々は農商務省の官衙が巍峨として聳えていたり、鉄管事件の裁判があったりする八百八街によって昔の面影を想像することができない。それに僕が近ごろ知合いになったドイツ婦人の評に、東京は「新しい都」と・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ハクランカイをごらんなさればよろしいに、と南国訛りのナポレオン君が、ゆうべにかわらぬ閑雅の口調でそうすすめて、にぎやかの万国旗が、さっと脳裡に浮んだが、ばか、大阪へ行く、京都へも行く、奈良へも行く、新緑の吉野へも行く、神戸へ行く、ナイヤガラ・・・ 太宰治 「狂言の神」
むかし湖南の何とやら郡邑に、魚容という名の貧書生がいた。どういうわけか、昔から書生は貧という事にきまっているようである。この魚容君など、氏育ち共に賤しくなく、眉目清秀、容姿また閑雅の趣きがあって、書を好むこと色を好むが如し・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ことにこの利休居士、豊太閤に仕えてはじめて草畧の茶を開き、この時よりして茶道大いに本朝に行われ、名門豪戸競うて之を玩味し給うとは雖も、その趣旨たるや、みだりに重宝珍器を羅列して豪奢を誇るの顰に傚わず、閑雅の草庵に席を設けて巧みに新古精粗の器・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 物質だけを取扱う官衙とちがって、単なる物質でない市民乗客といったようなものを相手にする電気局は、乗客の感情まで考えなければならず、そして局の仕事が市民に及ぼす精神的効果までも問題にしなければならないから難儀であろう。 しかしこれは・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・もっとも向う河岸の官衙の裏河岸を見るとかなり立派な役人達で呑気そうに見物しているのも大勢居た。河一つ隔てて、こう事柄のちがうのは果してどういう訳だろうとも思ってみたりした。 五回の爆声の間の四つの時間間隔は決して一様にはならないものらし・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・重要な官衙や公共設備のビルディングを地上百尺の代わりに地下百尺あるいは二百尺に築造し、地上は全部公園と安息所にしてしまう。これならば大地震があっても大丈夫であり、敵軍の空襲を受けても平気でいられるようにすることができるからである。この私の夢・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
出典:青空文庫