・・・畑閣下が幹事だからね」 こう云って置いて、三枝は元の席に返ってしまった。 私は始て気が附いて、承塵に貼り出してある余興の目録を見た。不折まがいの奇抜な字で、余興と題した次に、赤穂義士討入と書いて、その下に辟邪軒秋水と注してある。・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ ツァウォツキイはだんだん光線に慣れて来て、自分の体の中が次第に浄くなるように感じた。心の臓も浄くなったので、いろんな事を思い出して、そして生れたと云うばかりで、男の子だか女の子だか知らない子を、どうかして見たいものだと思った。 浄・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・目をねむッて気を落ちつけ、一心に陀羅尼経を読もうとしても、脳の中には感じがない。「有にあらず。無にあらず、動にあらず、静にあらず、赤にあらず、白にあらず……」その句も忍藻の身に似ている。 人の顔さえ傍に見えれば母はそれと相談したくなる。・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・動くのと停るのと、どこでどんなに違うのかと思う暇もなく、停ると同時に早や次の運動が波立ち上り巻き返す――これは鵜飼の舟が矢のように下ってくる篝火の下で、演じられた光景を見たときも感じたことだが、一人のものが十二羽の鵜の首を縛った綱を握り、水・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・言ってしまって、如何にも自分の詞が馬鹿気て、拙くて、荒っぽかったと感じたのである。 女は聞かなかった様子で語り続けた。「わたくしは内へ帰りますの。あちらでは花の咲いている中で、悲しい心持がしてなりませんでした。それに一人でいますのですか・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・ too would love her.Procter : "The Sailor Boy."ミス、プロクトルの“The Sailor Boy”という詩を読みまして、一方ならず感じました。どうかその心持をと思って物語・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・葉を打つ雨の単純な響きにも、心を捉えて放さないような無限に深いある力が感じられるのです。 私はガラス越しにじっと窓の外をながめていました。そうしていつまでも身動きをしませんでした。私の眼には涙がにじみ出て来ました。湯加減のいい湯に全身を・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・わたくしのわずかな接触の間にも、この問題についておりにふれて教えられたことは、かなり多く記憶に残っている。漢字をいきなり象形文字と考えるのは非常な間違いで、音を写した文字の方が多いこと、同じ音で偏だけ異なっているのは偏によって意味の違いを表・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫