・・・おれは好色家の感じのような感じで、あの口の中へおれの包みを入れてみたいと思った。巡査が立っている。あの兜を脱がせて、その中へおれの包みを入れたらよかろうと思う。紐をからんでいる手の指が燃えるような心持がする。包みの重りが幾キログランムかあり・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・気の永いアインシュタインもかなり不愉快を感じたと見えて、急にベルリンを去ると云い出した。するとベルリン大学に居る屈指の諸大家は、一方アインシュタインをなだめると同時に、連名で新聞へ弁明書を出し、彼に対する攻撃の不当な事を正し、彼の科学的貢献・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・但し、漢字でかくのと大した変りはない。それにしても日本の学者の論文が外国に紹介されるときに別人の仕事が同一人の仕事のように取扱われるような、よくある混同を避けるにはこういう新案もいいかもしれないのである。もう一歩進んで姓名の代りに囚人のよう・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・気をつけてみると、つい私の隣にかけていた連れの一人の読んでいる新聞が漢字ばかりのものであった。容貌から見るとどうもシナではなくて朝鮮から来た人たちらしく思われた。 玉川の川原では工兵が架橋演習をやっていた。あまりきらきらする河原には私の・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・シナ人があまり漢字をだいじに育てあげたためにシナの文化が伸展しなかったというような事がおもしろく論じてある。 現代の物理的科学は確かに数学の応用のおかげで異常の進歩を遂げた。この事には疑いもないが、その結果として数学にかからない自然現象・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・ 新型式中でも最も思い切った新型式としては、モザイックのような表象を漢字交じりで並べたテキストに、そのテキストとはだいぶかけ離れたルビーを並立させたものがある。これらになるともう単に俳句としての型式だけの変異ではなくて、詩というものの本・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・食卓で幹事の指名かなんかでテーブルスピーチがあった。正客の歌人の右翼にすわっていた芥川君が沈痛な顔をして立ち上がって、自分は何もここで述べるような感想を持ち合わさない。ただもししいて何か感じた事を述べよとならば、それは消化器の弱い自分にとっ・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・もっとも二年生のとき牛頓祭という理科大学学生年中行事の幹事をさせられたので、それが頭にあったためかもしれない。また、短文の方は例えば「赤」とか「旅」とかいう題を出して、それにちなんだ十行か二十行くらいの文章を書かせるのであった。何という題で・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・あまりおもしろくもないあるいはむしろ不愉快な演説を我慢して聞くのはまだいいとしても、時によると幹事とか世話人から「指名」などと言って無理やりに何かしゃべる事を強要される。それでも頑強に応じないと、あとから立つ人の演説の中で槍玉にあげられる。・・・ 寺田寅彦 「路傍の草」
・・・生活のまったく絶息してしまったようなこの古い鄙びた小さな都会では、干からびたような感じのする料理を食べたり、あまりにも自分の心胸と隔絶した、朗らかに柔らかい懈い薄っぺらな自然にひどく失望してしまったし、すべてが見せもの式になってしまっている・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫