・・・神田本同書には、「此志一上人はもとより邪天道法成就の人なる上、近頃鎌倉にて諸人奇特の思をなし、帰依浅からざる上、畠山入道諸事深く信仰頼入りて、関東にても不思議ども現じける人なり」とある。清氏はこの志一を頼んで、だぎにてんに足利義詮を祈殺そう・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・と自分は挨拶して、乱杭のむこうに鉤を投じ、自分の竿を自分の打った釘に載せて、静かに竿頭を眺めた。 少年も黙っている。自分も黙っている。日の光は背に熱いが、川風は帽の下にそよ吹く。堤後の樹下に鳴いているのだろう、秋蝉の声がしおらしく聞・・・ 幸田露伴 「蘆声」
一 大正十二年のおそろしい関東大地震の震源地は相模なだの大島の北上の海底で、そこのところが横巾最長三海里、たて十五海里の間、深さ二十ひろから百ひろまで、どかりと落ちこんだのがもとでした。 そのために・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ たしかに、あれは、関東大地震のとしではなかったかしら、と思うのであるが、そのとしの一夏を、私は母や叔母や姉やら従姉やらその他なんだか多勢で、浅虫温泉の旅館で遊び暮した事があって、その時、一番下のおしゃれな兄が、東京からやって来て、しば・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・が新潮社から出版せられて、私はその頃もう高等学校にはいっていたろうか、何でも夏休みで、私は故郷の生家でそれを読み、また、その短篇集の巻頭の著者近影に依って、井伏さんの渋くてこわくて、にこりともしない風貌にはじめて接し、やはり私のかねて思いは・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・その他は、四国にも九州にもいまのところ見当らぬそうで、箱根サンショウウオというのが関東地方に棲息して居りますけれども、あれはまた全く違った構造を持っているもので、せいぜい蠑いもりくらいの大きさでありまして、それ以上は大きくなりませぬ。日本の・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ × キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。 × 関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ 巻頭に入れた地図は、足利で生まれ、熊谷、行田、弥勒、羽生、この狭い間にしかがいしてその足跡が至らなかった青年の一生ということを思わせたいと思ってはさんだのであった。 関東平野の人たちの中には、この『田舎教師』を手にしているのをそこ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・ その後自分の生活には色々急激な変化が起こった。関東震災のおかげで大学に地震研究所が設立されると同時に自分は学部との縁を切って研究所員に転じ、しばらくの間は工学部のある教室のバラックの仮事務所に出入りしていて、研究所の本建築が出来上がる・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫