・・・ただやはり顔馴染みの鎮守府司令長官や売店の猫を見た時の通り、「いるな」と考えるばかりである。しかしとにかく顔馴染みに対する親しみだけは抱いていた。だから時たまプラットフォオムにお嬢さんの姿を見ないことがあると、何か失望に似たものを感じた。何・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ミスラ君は永年印度の独立を計っているカルカッタ生れの愛国者で、同時にまたハッサン・カンという名高い婆羅門の秘法を学んだ、年の若い魔術の大家なのです。私はちょうど一月ばかり以前から、ある友人の紹介でミスラ君と交際していましたが、政治経済の問題・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・ 最初の北海道の長官の黒田という人は、そこに行くと何といっても面白いものを持っていたようだ。あの必要以上に大規模と見える市街市街の設計でも一斑を知ることか出来るが、米国風の大農具を用いて片っ端からあの未開の土地を開いて行こうとした跡は、・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・捻り廻して鬱いだ顔色は、愍然や、河童のぬめりで腐って、ポカンと穴があいたらしい。まだ宵だというに、番頭のそうした処は、旅館の閑散をも表示する……背後に雑木山を控えた、鍵の手形の総二階に、あかりの点いたのは、三人の客が、出掛けに障子を閉めた、・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……御威勢のほどは、後年地方長官会議の節に上京なされると、電話第何番と言うのが見得の旅館へ宿って、葱のおくびで、東京の町へ出らるる御身分とは夢にも思われない。 また夢のようだけれども、今見れば麺麭屋になった、丁どその硝子窓のあるあたりへ・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・りと分けて、雪に紛う鷺が一羽、人を払う言伝がありそうに、すらりと立って歩む出端を、ああ、ああ、ああ、こんな日に限って、ふと仰がるる、那須嶽連山の嶺に、たちまち一朶の黒雲の湧いたのも気にしないで、折敷にカンと打った。キャッ! と若い女の声。魂・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・パデレフスキーも日本に生れたら大統領は魯か文部の長官にだって選ばれそうもない。ダンヌンチオも日本だったら義兵を募る事も軍資を作る事も決して出来なかったろう。西洋では詩人や小説家の国務大臣や商売人は一向珍らしくないが、日本では詩人や小説家では・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
梅雨のうちに、花という花はたいていちってしまって、雨が上がると、いよいよ輝かしい夏がくるのであります。 ちょうどその季節でありました。遠い、あちらにあたって、カン、カン、カンカラカンノカン、……という磬の音がきこえてきました。・・・ 小川未明 「海ほおずき」
・・・ 正ちゃんは、かおを まっかに して、力いっぱい バットを ふりました。カンと 音が すると、すごい あたりでした。「ヒット、ヒット。」と、いう こえが おこりました。つづいて、「ホームラン、ホームラン。」と、いう こえ・・・ 小川未明 「はつゆめ」
・・・「おのれこそ、婚礼の晩にテンカンを起して、顔に草鞋をのせて、泡を吹きよるわい」「おのれの姉は、元日に気が触れて、井戸の中で行水しよるわい」「おのれの女房は、眼っかちの子を生みよるわい」 などと、何れも浅ましく口拍子よかった中・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
出典:青空文庫