・・・頼みに思った極右党はやはり頼み甲斐のない男であった。さてこれからどうしよう。なんだっておれはロシアを出て来たのだろう。今さら後悔しても駄目である。幸にも国にはまだ憲法が無い。その代りには、どこへ行って見ても、穴くらい幾らでもある。溝も幾らも・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・白っぽい砂礫を洗う水の浅緑色も一種特別なものであるが、何よりも河の中洲に生えた化粧柳の特異な相貌はこれだけでも一度は来て見る甲斐があると思われた。この柳は北海道にはあるが内地ではここだけに限られた特産種で春の若芽が真赤な色をして美しいそうで・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ わたくしは遂に海を見ず、その日は腑甲斐なく踵をかえした。昭和廿二年十二月 永井荷風 「葛飾土産」
・・・果知らぬ原の底に、あるに甲斐なき身を縮めて、誘う風にも砕くる危うきを恐るるは淋しかろう。エレーンは長くは持たぬ。 エレーンは盾を眺めている。ランスロットの預けた盾を眺め暮している。その盾には丈高き女の前に、一人の騎士が跪ずいて、愛と信と・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・時には我意中の美人と共に待つ事もある。通り掛りの上臈は吾を護る侍の鎧の袖に隠れて関を抜ける。守護の侍は必ず路を扼する武士と槍を交える。交えねば自身は無論の事、二世かけて誓える女性をすら通す事は出来ぬ。千四百四十九年にバーガンデの私生子と称す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・今でも私は時に J'agis, jeveux, donc je suis[我行為す、我意志す、故に我あり]などいう語を引用することがある。しかしクーザンの出版したものは、遂に手に入れることができなかった。従って受働的習慣と能働的習慣との区別・・・ 西田幾多郎 「フランス哲学についての感想」
・・・ 私は、同じ乗組の、同じ水夫としての、友達甲斐から、彼に、いや彼等に今、そのどこだったかを知らせなければならない。 それは、……………… だが、それがどこだったかは、もっと先になれば分るこった。 彼は、間もなく、床格・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・私も心配した甲斐があるというものだ。実にありがたかッた」 吉里は半ば顔を上げたが、返辞をしないで、懐紙で涙を拭いている。「他のことなら何とでもなるんだが、一家の浮沈に関することなんだから、どうも平田が帰郷ないわけに行かないんでね、私・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・、自分は既に証明を得たれども、扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余の報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり、憐む可・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 此一章は下女の取扱法を教えたるものにして、第一に彼等の言うことを軽々しく信じて姨の親しみを薄くする可らず、其極めて多言なる者は必ず家族親類風波の基なれば速に追出す可し、都て卑しき者を使うには我意に叶わぬことも少なからず、漫りに立腹・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫