・・・しかし茶目気分横溢していてむつかしい学科はなんでもきらいだという悪太郎どもにとっては、先生の勤勉と、正確というよりも先生の教える学問のむつかしさが少なからず煙たくもあったらしい。当時、アメリカの民謡の曲を取った「ヒラ/\と連隊旗」という唱歌・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・ 四 のうぜんかずら 小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。宅から先生の所までは四五町もある。・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・最近に東京帝国大学地震学科学生某氏は市内二か所の街上における自動車の往復数に関する統計についても、やはりかなりの程度まで同様な物理的方則が適用される事を示した。これらはむしろ当然なことと言わなければならない。いわゆる「大数」の要素の集団で個・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・先ず農業の方面ではつとに農芸物理学という学科が出来ているくらいであるが、今後まだどれだけ発展するか予期し難いように見える。自分の知っている狭い範囲だけでも面白い問題が沢山ある。例えば穀物の研究でも少し詳細にするとすれば、米粒の堅さとか、比重・・・ 寺田寅彦 「物理学の応用について」
・・・自分の出席した四つのコロキウムのそれぞれの雰囲気は学科の性質から来る特徴もあるにはあるであろうが結局はその集会を統率する中心人物の人柄そのものによって濃厚に色づけられているのであった。 次の冬学期には上記の先生方の外に、ヘルメルトの「地・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ こんなふうで、自分の中学においての成績は三年ごろまではまず中ぐらいのところであったが、それから後は佳いほうであったと言えよう。学科目に対してもあまり好ききらいはなく、かなり一様の点数を得ていたが、ただ習字だけはどうしても下手であった。・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・そこで平生はあまり勉強しなかった自分もいささかかんしゃくを起こして、熱心に勉強したが、それとて他の人と異なった、図抜けた勉強をしたわけではなく、規則立って学課の復習、受験の準備に努めたのでもない。いわば世間並み、普通の事をやっていたというに・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を諳じていたが、性質驕悍にして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧ないので、試業の度ごとに落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・そこで愈英文科を志望学科と定めた。 然し其時分の志望は実に茫漠極まったもので、ただ英語英文に通達して、外国語でえらい文学上の述作をやって、西洋人を驚かせようという希望を抱いていた。所が愈大学へ這入って三年を過して居るうちに、段々其希望が・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・僕の他の教師であるところの、ポオやドストイェフスキイやから、丁度その同じ学科だけを学んだやうに。 元来、僕は気質的にデカダンスを傾向した人間である。僕がポオやドストイェフスキイに牽引されるのも、つまりは彼等の中に、異常性格者的なデカダン・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
出典:青空文庫