・・・ 余の如き長病人は死という事を考えだす様な機会にも度々出会い、又そういう事を考えるに適当した暇があるので、それ等の為に死という事は丁寧反覆に研究せられておる。併し死を感ずるには二様の感じ様がある。一は主観的の感じで、一は客観的の感じであ・・・ 正岡子規 「死後」
……ある牛飼いがものがたる第一日曜 オツベルときたら大したもんだ。稲扱器械の六台も据えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。 十六人の百姓どもが、顔をまるっきりまっ赤にし・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・特務曹長「然るに私共は未だ不幸にしてその機会を得ず充分適格に閣下の勲章を拝見するの光栄を所有しなかったのであります。」大将「それはそうじゃ、今までは忙がしかったじゃからな。」特務曹長「閣下。この機会をもちまして私共一同にとくとお・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・然し、事実は愛情もない、別々に生活している男女が法律の上でだけは夫婦で、しかもその法律が物をいい出せば、夫である田村純夫がいろいろ支配力を自分の上に持っているという考えは何と奇怪であろう。陽子は益々自分の中途半端な立場を感じ、謂わば、枝に引・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・と、機械をすて篤介のところへ立って行った。「何するんだい、この糸」「糸じゃないよ」「糸だい」「馬の尻尾だよ」「ふーむ、本当? どこから持って来たの」「抜いて来たのさ」「――嘘いってら! 蹴るよ」「馬の脚は・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ナチスは、その火事を機会として、ドイツ中の共産党員、社会主義者、民主論者、平和論者、自由主義者、ユダヤ人の大量検挙をはじめたのであった。ヒトラーの手先がミュンヘンにも入ってきて、公共建物のすべての屋根に気味わるい卍の旗がひるがえることになっ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・日本の婦人の置かれて来た立場の奇怪な矛盾は、私たち自身信じかねるほどである。民法と刑法とにおける婦人の地位というものは、このような悲劇的矛盾のままであるべきではない。 日常生活の幸、不幸にかかわる民法において一人民として婦人が夥しく無力・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・ 器械的に手が枕の側を探る。それは時計を捜すのである。逓信省で車掌に買って渡す時計だとかで、頗る大きいニッケル時計なのである。針はいつもの通り、きちんと六時を指している。「おい。戸を開けんか。」 女中が手を拭き拭き出て来て、雨戸・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度に、「あなたはわたしを茶かしてばかしいらっしゃる」と云うのが、その細君の非難の主なるものであった。 木村の心持には真剣も木刀もないのであるが、あらゆる為事に対する「遊び」の心・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・そのほかにはこの奇怪な出来事を判断する種になりそうな事は格別ない。ただ小姓たちの言うのを聞けば、蜂谷は今度紛失した大小を平生由緒のある品だと言って、大切にしていたそうである。またその大小を甚五郎がふだんほめていたそうである。 甚五郎の行・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫