・・・昨年の夏にも、北さんと中畑さんとが相談して、お二人とも故郷の長兄に怒られるのは覚悟の上で、私の十年振りの帰郷を画策してくれたのである。「しかし、大丈夫ですか? 女房や子供などを連れていって、玄関払いを食らわされたら、目もあてられないから・・・ 太宰治 「故郷」
・・・そのとしの暑中休暇には、彼は見込みある男としての誇りを肩に示して帰郷した。彼のふるさとは本州の北端の山のなかにあり、彼の家はその地方で名の知られた地主であった。父は無類のおひとよしの癖に悪辣ぶりたがる性格を持っていて、そのひとりむすこである・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・戸石君に聞き合せると更にはっきりするのであるが、戸石君も已に立派な兵隊さんになっていて、こないだも、「三田さんの事は野営地で知り、何とも言えない気持でした。桔梗と女郎花の一面に咲いている原で一しお淋しく思いました。あまり三田さんらしい死・・・ 太宰治 「散華」
・・・私は、自分の血の中の純粋の津軽気質に、自信に似たものを感じて帰京したのである。つまり私は、津軽には文化なんてものは無く、したがって、津軽人の私も少しも文化人では無かったという事を発見してせいせいしたのである。それ以後の私の作品は、少し変った・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・第読みちらし、どこへ旅行しようともしなかったし、また高等学校時代の休暇には、東京にいる彫刻家の、兄のところへ遊びに行き、ほとんど生家に帰らず、東京の大学へはいるようになったら、もうそれっきり、十数年間帰郷しなかったのであるから、津軽という国・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・Kはバスの下で、雨にたたかれた桔梗の花のように美しく伏していた。この女は、不仕合せな人だ。「誰もさわるな!」 私は、気を失っているKを抱きあげ、声を放って泣いた。 ちかくの病院まで、Kを背負っていった。Kは小さい声で、いたい、い・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・年月を経るにしたがい、つるに就いての記憶も薄れて、私が高等学校にはいったとし、夏休みに帰郷して、つるが死んだことを家のひとたちから聞かされたけれど、別段、泣きもしなかった。つるの亭主は、甲州の甲斐絹問屋の番頭で、いちど妻に死なれ、子供もなか・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・袋カツイデ見事ニ帰郷。被告タル酷烈ノ自意識ダマスナ。ワレコソ苦悩者。刺青カクシタ聖僧。オ辞儀サセタイ校長サン。「話」編輯長。勝チタイ化ケ物。笑ワレマイ努力。作家ドウシハ、片言満了。貴作ニツキ、御自身、再検ネガイマス。真偽看破ノ良策ハ、一作、・・・ 太宰治 「創生記」
・・・昨年の暮に故郷の老母が死んだので、私は十年振りに帰郷して、その時、故郷の長兄に、死ぬまで駄目だと思え、と大声叱咤されて、一つ、ものを覚えた次第であるが、「兄さん、」と私はいやになれなれしく、「僕はいまは、まるで、てんで駄目だけれども、で・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・しかも、その田舎者は、いい加減なところで必ず帰郷するのである。そこが秘訣だ。その家族と喧嘩をして、追われるように田舎から出て来て、博覧会も、二重橋も、四十七士の墓も見たことがないそのような上京者は、私たちの味方だが、いったい日本の所謂「洋行・・・ 太宰治 「如是我聞」
出典:青空文庫