・・・ 七月二十一日にいったん帰京した。昆虫の世界は覗く間がなかった。八月にまた行ったとき、もう少し顕微鏡下の生命の驚異に親しみたいと思っている。 寺田寅彦 「高原」
・・・もっとも多くの場合にこのような独創力と耐久力を併有しているような種類の人間は、同時にその性状が奇矯で頑強である場合が多いから、学者と言っても同じく人間であるところの同学や先輩の感情を害することが多いという事実も争われないのである。そういう風・・・ 寺田寅彦 「時事雑感」
・・・ 十時過ぎの汽車で帰京しようとして沓掛駅で待ち合わせていたら、今浅間からおりて来たらしい学生をつかまえて駅員が爆発当時の模様を聞き取っていた。爆発当時その学生はもう小浅間のふもとまでおりていたからなんのことはなかったそうである。その時別・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ 青磁の徳利にすすきと桔梗でも生けると実にさびしい秋の感覚がにじんだ。あまりにさびしすぎて困るかもしれない。 青磁の香炉に赤楽の香合のモンタージュもちょっと美しいものだと思う。秋の空を背景とした柿もみじを見るような感じがする。 ・・・ 寺田寅彦 「青磁のモンタージュ」
・・・そうしてこの牝鶏と帰郷者との二つの悪夢はその後何十年の自分の生活に付きまとって、今でも自分を脅かすのである。そのころ福沢翁の著わした「世界国づくし」という和装木版刷りの書物があった。全体が七五調の歌謡体になっているので暗記しやすかった。その・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・しかし単に説の奇矯であり、常識的に考えてありそうもないというだけの理由から、この説を初めから問題ともしないでいたずらに嘲笑の的にしようとする人のみ多い事にも疑いをいだかないわけには行かなかった。少なくも東欧の一部と極東日本との間に万一存在し・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・と言った田舎のある老人の奇矯な言葉が思い出される。 何番という番号のついた売り場に妻子をつれて買い物に来ている人が幾組もある。細君の品物を選り分ける顔つきや挙動や、それを黙って見ている主人の表情はさまざまである。いろいろな家庭の一面がこ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・そしてその年の冬、母の帰京すると共に、わたくしもまた船に乗った。公園に馬車を駆る支那美人の簪にも既に菊の花を見なくなった頃であった。 凡ては三十六、七年むかしの夢となった。歳月人を俟たず、匆々として過ぎ去ることは誠に東坡が言うが如く、「・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・地にあるものは青い薄と、女郎花と、所々にわびしく交る桔梗のみである。二人は煢々として無人の境を行く。 薄の高さは、腰を没するほどに延びて、左右から、幅、尺足らずの路を蔽うている。身を横にしても、草に触れずに進む訳には行かぬ。触れれば雨に・・・ 夏目漱石 「二百十日」
三十七年の夏、東圃君が家族を携えて帰郷せられた時、君には光子という女の児があった。愛らしい生々した子であったが、昨年の夏、君が小田原の寓居の中に意外にもこの子を失われたので、余は前年旅順において戦死せる余の弟のことなど思い・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫