・・・蝶子に言われても、子供を無理に引き取る気の出なかったのは、いずれ帰参がかなうかも知れぬという下心があるためだったが、それでも、子供と離れていることはさすがに淋しいと、これは人ごとでなかった。ある日、昔の遊び友達に会い、誘われると、もともと好・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・それがしばらくしてから帰参して側者頭になっていたのである。権右衛門は討入りの支度のとき黒羽二重の紋附きを着て、かねて秘蔵していた備前長船の刀を取り出して帯びた。そして十文字の槍を持って出た。 竹内数馬の手に島徳右衛門がいるように、高見権・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・三斎公その時死罪を顧みずして帰参候は殊勝なりと仰せられ候て、助命遊ばされ候。伝兵衛はこの恩義を思候て、切腹いたし候。介錯は磯田十郎に候。久野は丹後の国において幽斎公に召し出され、田辺御籠城の時功ありて、新知百五十石賜わり候者に候。矢野又三郎・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・蜂谷の一族は甚五郎の帰参を快くは思わぬが、大殿の思召しをかれこれ言うことはできなかった。 甘利は死んでも小山の城はまだ落ちずにいた。そのうち世間には種々の事があった。先に武田信玄が死んでから七年目に、上杉謙信が死んだ。三十六歳で右近衛権・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・そうしてそこで十八年働いた後に、四十五歳の時、本能寺の変に際して家康のもとに帰参したのである。その閲歴から見て狂熱的な一向宗信者であったと推測せられるが、しかしキリシタンの宣教師の報告によると、家康の重臣中では彼が最もキリシタンに同情を持っ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫