・・・「あゝ。」 栗本の腕は、傷が癒えても、肉が刳り取られたあとの窪んだ醜い禿は消す訳に行かなそうだった。「福島はどうでしょうか、軍医殿。」「帰すさ。こんな骨膜炎をいつまでも置いといちゃ場所をとって仕様がない。」 あと一週間に・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・なぜかと言いますと、他の、例えばキス釣なんぞというのは立込みといって水の中へ入っていたり、あるいは脚榻釣といって高い脚榻を海の中へ立て、その上に上って釣るので、魚のお通りを待っているのですから、これを悪く言う者は乞食釣なんぞと言う位で、魚が・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ されど、天命の寿命をまっとうして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油つきて火の滅するごとく、自然に死に帰すということは、その実はなはだ困難のことである。なんとなれば、これがためには、すべての疾病をふせぎ、すべての災禍をさけるべき完全・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 左れど天命の寿命を全くして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油尽きて火の滅する如く、自然に死に帰すということは、其実甚だ困難のことである、何となれば之が為めには、総ての疾病を防ぎ総ての禍災を避くべき完全の注意と方法と設備とを要するか・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・まだ章坊も貰わない、ずっと先の事であったし、小母さんは大変に藤さんを可愛がって、後には夜も家へ帰すよりか自分の側へ泊らせる方が多いくらいにしていた。はじめそこへ移ってきた翌る日であったか、藤さんがふと境の扇骨木垣の上から顔を出して、「小・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・その時わたしがあの人に無理に頼んで、お前さんにキスをさせたのね。あの人はこうなれば為方がないという風でキスをする。その時のお前さんの様子ってなかったわ。まあ、度を失ったというような風ね。それがその時はわたしには気が付かなかったのだわ。そして・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・「ママをキスしてちょうだい」 しかして小鳥のように半分開いたこの子の口からキスを一つもらいました。しかしてヒヤシンスのように青いこの子の目で見やられると、母の美しい顔は、子どもと同じな心置きのない無邪気さに返って、まるで太陽の下に置・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」 女は、からだを固くした。 一つ。女は、死にそうになった。 二つ。息ができなくなった。 三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあと・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・女中さん達が、そう言っていたぜ。キスくらいは、したんじゃないか。なるほど、君たちの遊びは、いやらしい。 もう自分に手紙を寄こさないそうだが、自分は、なんとも思わない。友情は、義務でない。また手紙を寄こしたくなったら、寄こすがよい。要する・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・たったひとつの嫁入り道具ですよ。キスするのです。」こともなげに笑っていた。 僕はいやな気がした。「おいやのようですね。けれども世の中はこんな工合いになっているのです。仕様がありませんよ。見ていると感心に花を毎日とりかえます。きのうは・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
出典:青空文庫