・・・「僕の家では、君、斯ういう規則にして居る。何かしら為て来ない人には、決して物を上げないということにして居る。だって君、左様じゃないか。僕だって働かずには生きて居られないじゃないか。その汗を流して手に入れたものを、ただで他に上げるということは・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・北側の屋根や庭に降った雪は凍って、連日溶くべき気色もない。氷柱は二尺、三尺に及ぶ。お島が炉辺へ行って子供に牛乳をくれようとすると、時にはそれが淡い緑色に凍って、子供に飲ませることも出来ない。台処の流許に流れる水は皆な凍りついた。貯えた野菜ま・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・それが人の言うように規則的に溢れて来ようとは、信じられもしなかった。故もない不安はまだ続いていて、絶えず彼女を脅かした。袖子は、その心配から、子供と大人の二つの世界の途中の道端に息づき震えていた。 子供の好きなお初は相変わらず近所の家か・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・やがてあちらで藤さんが帯を解く気色がする。章坊は早く小さな鼾になる。自分は何とはなしに寝入ってしまうのが惜しい。「ね、小母さん」とふたたび話しかける。「え?」と、小母さんは閉じていた目を開ける。「あの、いったい藤さんはどうした人・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・島は、船を迎える気色が無い。ただ黙って見送っている。船もまた、その島に何の挨拶もしようとしない。同じ歩調で、すまして行き過ぎようとしているのだ。島の岬の燈台は、みるみる遠く離れて行く。船は平気で進む。島の陰に廻るのかと思って少し安心していた・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・日本には、戦争の時には、ちっとも役に立たなくても、平和になると、のびのびと驥足をのばし、美しい平和の歌を歌い上げる作家も、いるのだということを、お忘れにならないようにして下さい。日本は、決して好戦の国ではありません。みんな、平和を待望して居・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・女中が部屋の南の障子をあけて、私に気色を説明して呉れた。「あれが初島でございます。むこうにかすんで見えるのが房総の山々でございます。あれが伊豆山。あれが魚見崎。あれが真鶴崎。」「あれはなんです。あのけむりの立っている島は。」私は海の・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・なんとか助けて下さい、と懇願しても、その三十歳くらいの黄色い歯の出た痩せこけた老婆、ろくろく返事もなく、規則は規則ですからねえ、と呟いて、そろばんぱちぱち、あまりのことに私は言葉を失い、しょんぼり辞去いたしましたが、篠つく雨の中、こんなばか・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ おれはすっかり気色を悪くして、もう今晩は駄目だと思った。もうなんにもすまいと思って、ただ町をぶらついていた。手には例の癪に障る包みを提げている。二三度そっと落してみた。すぐに誰かが拾って、にこにこした顔をしておれに渡してくれる。おれは・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・自分は拳闘については全くの素人で試合の規則もテクニックもいっさい知らないのであるが、自分が最初からこの映画でおもしろいと思ったのはこの二人の選手の著しくちがった個性と個性の対照であった。 カルネラは昔の力士の大砲を思い出させるような偉大・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫