・・・その時分緑雨は『国会新聞』の客員という資格で、村山の秘書というような関係であったらしく、『国会新聞』の機微に通じていて、編輯部内の内情やら村山の人物、新聞の経営方針などを来る度毎に精しく話して聞かせた。こっちから訊きもしないのに何故こんな内・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・と、何処の女であるか知らぬが近頃際会したという或る女の身の上咄をして、「境涯が境涯だから人にも賤しめられ侮られているが、世間を呑込んで少しも疑懼しない気象と、人情の機微に通ずる貴い同情と――女学校の教育では決して得られないものを持ってる。こ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・この辺の家の窓は、五味で茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子の背後にも、物珍らしげに、好い気味だというような顔をして、覗いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・「どんなに、気味の悪いことか。」と、二人は、こういって笑いました。 子供は、この話を帰ったら、父や、山の木や、鳥に、話してやろうと思いました。 子供は、街を歩いていますと、鳥屋がありました。大きな台の上で、男が、三人も並んで、ぴ・・・ 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・ 人情の機微を穿つとか、人間と人間の関係を忠実に細叙するとかいうのも、この世の中の生活様式を其の儘肯定しての上のことである。彼等は、この社会生活、そのものゝ原因に対しては疑わなかった。それを疑うことは、怖しいことゝして来た。圧搾せられた・・・ 小川未明 「芸術は革命的精神に醗酵す」
・・・枕は脂染みた木枕で、気味も悪く頭も痛い。私は持合せの手拭を巻いて支った。布団は垢で湿々して、何ともいえない臭がする。が、それはまだ我慢もできるとして、どうにもこうにも我慢のできないのは、少し寝床の中が暖まるとともに、蚤だか虱だか、ザワザワザ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ すると、女の唇が不気味にふるえた。そして大粒の泪が蒼黝い皮膚を汚して落ちて来た。ほんとうに泣き出してしまったのだ。 私は頗る閉口した。どういう風に慰めるべきか、ほとほと思案に余った。 女は袂から器用に手巾をとりだして、そしてま・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・賀直哉の可能性としての原始性に憧れたことは、小林秀雄個人の問題であり、これを文壇の一般的問題とすることは、日本の文学の原始性に憧れねばならないほどの近代性がなかった以上滑稽であり、よしんば、小林秀雄の驥尾に附して、志賀直哉の原始性を認めると・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それに、ふと手離すのが惜しくなって、――というのは、私もまた武田さんの驥尾に附してその時計を机の上にのせて置きたくて、到頭送らずじまいになってしまった。 九月の十日過ぎに私はまた上京した。武田さんを訪問すると、留守だった。行方不明だとい・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
出典:青空文庫