・・・やっと旧道に繞って出たのよ。 今日とは違った嘘のような上天気で、風なんか薬にしたくもなかったが、薄着で出たから晩方は寒い。それでも汗の出るまで、脚絆掛で、すたすた来ると、幽に城が見えて来た。城の方にな、可厭な色の雲が出ていたには出ていた・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ 日蓮の出家求道の発足は認識への要求であった。彼の胸中にわだかまる疑問を解くにたる明らかなる知恵がほしかったのだ。それでは彼の胸裡の疑団とはどんなものであったか。 第一には何故正しく、名分あるものが落魄して、不義にして、名正しか・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・それ故信仰の女性というのは、普通の場合、信仰の求道者の女性という意味であって、またそれでいいのである。しかし初めから信仰というものを古臭いなどと侮って、求める気がないのでは妙智のひらける縁がない。 それが独りよがりの傲慢になってしまうか・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・また花山法皇は御年十八歳のとき最愛の女御弘徽殿の死にあわれ、青春失恋の深き傷みより翌年出家せられ、花山寺にて終生堅固な仏教求道者として過ごさせられた。実に西国巡礼の最初の御方である。また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・だのという題でもってあつかわれているから、われら求道の人士をこのように深く惑わす事になるのである。私がもし、あの話を修身の教科書に採用するとしたなら、題を「孤独」とするであろう。 私は、いまこそあの三氏の、あの時の孤独感を知った、と思っ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪の到着するまでに通例数十分かか・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・と言ったというが、芭蕉の数奇をきわめた体験と誠をせめる忠実な求道心と物にすがらずして取り入れる余裕ある自由の心とはまさしくこの三つのものを具備した点で心敬の理想を如実に実現したものである。世情を究め物情に徹せずしていたずらに十七字をもてあそ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・平野ではこれと反対に旧道の曲線を新道の直線で切っている場合が多いのである。人間の足と自動車とでは器械がちがうだけに「道路の科学」もまた違った解答を与えるのであろう。 航空気象観測所と無線電信局とがまだ霜枯れの山上に相対立して航空時代の関・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・わたくしが或日偶然六阿弥陀詣の旧道の一部に行当って、たしかにそれと心付いたのは、この枯れかかった桜の樹齢を考えた後、静に曾遊の記憶を呼返した故であった。 江北橋の北詰には川口と北千住の間を往復する乗合自動車と、また西新井の大師と王子の間・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・彼はその不幸のそこから、人生に徹し得ると云う求道的の歓によって光明を得て来た。 今度の恋愛は、彼の大きい一生上の一つの引潮に際し、不幸は以前に倍して大きいとなれば、常識の云う最大の不幸、「死」をとおして光明を感じたことを、認めない訳には・・・ 宮本百合子 「有島武郎の死によせて」
出典:青空文庫