・・・ それからの鶴の消息に就いては、鶴の近親の者たちの調査も推測も行きとどかず、どうもはっきりは、わからない。 五日ほど経った早朝、鶴は、突如、京都市左京区の某商会にあらわれ、かつて戦友だったとかいう北川という社員に面会を求め、二人で京・・・ 太宰治 「犯人」
・・・妹はかよわい身一つで病人の看護もせねばならず世話のやける姪をかかえて家内の用もせねばならず、見兼ねるような窮境を郷里に報じてやっても近親の者等は案外冷淡で、手紙ではいろいろ体の好い事を云って来ても誰一人上京して世話をするものはない。もとより・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・化学のK先生がそばにいて取り成しの役を勤められたのにお任せしてとにかく一同で謝罪と謹慎の意を表してゆるしてもらうことになったのである。 われわれの在学中田丸先生はほとんど一度も欠勤されなかったような気がする。当時一方には、日曜の翌日、す・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・それから近村の小作人、出入りの職人まで寄り集まって盛んな祝いであった。近親の婦人が総出で杯盤の世話をし、酌をする。その上、町から芸者を迎えて興を添えさせるのが例なので、この時も二人来ていた。これも祝いのあるうちは泊まっているので、池の向こう・・・ 寺田寅彦 「竜舌蘭」
・・・その頃彼は休暇の度に近親の年上の誰かに淡い恋をしたが、次の休暇には前の恋人はすっかり忘れて、また別の初恋をするのであった。またある時は若い婦人に扮装して午餐会に現われ、父の隣席に坐って一座を驚かせた。 いよいよ Cambridge に入・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・自分が悪口を云われる口惜し紛れに他人の悪口を云うように取られては、悪口の功力がないと心得て今日まで謹慎の意を表していた。しかし花袋君の説を拝見してちょっと弁解する必要が生じたついでに、端なく独歩花袋両君の作物に妄評を加えたのは恐縮である。・・・ 夏目漱石 「田山花袋君に答う」
・・・自分は頑として破談を主張したが、最後に、それならば、彼が女を迎えるまでの間、謹慎と後悔を表する証拠として、月々俸給のうちから十円ずつ自分の手もとへ送って、それを結婚費用の一端とするなら、この事件は内済にして勘弁してやろうと言いだした。重吉は・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・に前文を其まゝにして之を夫の方に差向け、万事妻を先にして自分を後にし、己れに手柄あるも之に誇らず、失策して妻に咎めらるゝとも之を争わず、速に過を改めて一身を慎しみ、或は妻に侮られても憤怒せずして唯恐縮謹慎す可し云々と、双方に向て同一様の教訓・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ ゆえに、子女の養育に注意する人は、そのようやく長ずるにしたがって次第に世間の人事にあたらしむるの要用なるを知り、あるいは飲酒といい演劇といい、謹慎着実なる父母の目には面白からぬ事ながら、とうていこれを禁ずべきに非ざれば、この好むところ・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛んなるに従って自ら戒むるの法もいよいよ綿密にして、謹慎に謹慎を加うるは、世界古今人情の常なり。人生の身体とその精神と、いずれをも軽しとしまた重しとすべからざるはいうまでもなきことにして、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫