・・・ やがて、ドアが勢よくあき、花のように、ぱっと部屋を明るくするような笑顔をもって背広服着た青年が、あらわれた。「乙やん、ばかだなあ。」さちよを見て、「こんちは。」「あれは、」「あ。持って来ました。」黒い箱を、うちポケットから・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・しばらくすると第二のゴンゴンが鳴る。ちょっと御誂通りにできてる。それから階子段を二つ下りて食堂へ這入る。例のごとく「オートミール」を第一に食う。これは蘇格土蘭人の常食だ。もっともあっちでは塩を入れて食う、我々は砂糖を入れて食う。麦の御粥みた・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・事にして、両者一心同体、共に苦楽を与にするの契約は、生命を賭して背く可らずと雖も、元来両者の身の有様を言えば、家事経営に内外の別こそあれ、相互に尊卑の階級あるに非ざれば、一切万事対等の心得を以て自から屈す可らず、又他をして屈伏せしむ可らず。・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・春風馬堤曲に溢れたる詩思の富贍にして情緒の纏綿せるを見るに、十七字中に屈すべき文学者にはあらざりしなり。彼はその余勢をもって絵事を試みしかども大成するに至らざりき。もし彼をして力を俳画に伸ばさしめば日本画の上に一生面を開き得たるべく、応挙輩・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 恐ろしくすんだ声はびっくりするほど遠くひびいた。自分の笑い声の消えて行くのをジッとききながらその声をきいて身ぶるいをする男のあるのを思って声はたてないうす笑をもらした。 お龍は立ち上って着物を着更えた、今までよりは一層はでなはっき・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ 子供特有の無邪気さはあってもそれをよけい美くしくする麗わしい容貌がいるものである。たしかに私はそれを信じて居る。 子供と云うものが従来最も神に近いものとしてあっただけ子供と云えば美くしく想像する。極く育とう、育とうとする子供の時代・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 婦人の独自な条件に立って体育、知育、徳育の均斉した発達の必要と、家庭生活における夫婦の「自ら屈す可からず、また他を屈伏せしむべからざる」人性の天然に従った両性関係の確立、再婚の自由、娘の結婚にあたって財産贈与などによる婦人の経済的自立・・・ 宮本百合子 「女性の歴史の七十四年」
・・・ 篤はその人の顔を思い出そうとする様な目差しをしながら云った、そしてまるで気を変えた様に千世子の指のオパールを見ながら声の練習でもする様に気をつけて節まわしよくするすると話し出した。「此頃体の具合はどうなんです。 少し眼・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・もし作家が大衆化の意味をあやまって、後者の態度にしたがうようなことがあれば、それは大衆を低めているものの力に屈すと同時に、作家自身を無力化せしめている力にも自身から叩頭することになってしまうであろう。 近頃は、嘗てプロレタリア文学運動に・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・で福沢諭吉が最も力をこめている点は、婦人の独自な条件に立っての体育、知育、徳育の均斉と、結婚生活における夫婦の「自ら屈す可からず、又他をして屈伏せしむべから」ざる人生の天然に従った両性関係の確立、再婚の自由、娘の結婚にあたって財産贈与などに・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
出典:青空文庫