・・・ 彼女が三度目にこう言った時、夫はくるりと背を向けたと思うと、静かに玄関をおりて行った。常子は最後の勇気を振い、必死に夫へ追い縋ろうとした。が、まだ一足も出さぬうちに彼女の耳にはいったのは戞々と蹄の鳴る音である。常子は青い顔をしたまま、・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ 女は涙を呑みながら、くるりと神父に背を向けたと思うと、毒風を避ける人のようにさっさと堂外へ去ってしまった。瞠目した神父を残したまま。……… 芥川竜之介 「おしの」
・・・そうしてそれと共に、眩く日を反射した、幅の広い向うの軍刀が、頭の真上へ来て、くるりと大きな輪を描いた。――と思った時、何小二の頸のつけ根へは、何とも云えない、つめたい物が、ずんと音をたてて、はいったのである。 ―――――・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・腕を伸ばしても届かぬ向こうで、くるりと廻る風して、澄ましてまた泳ぐ。「此奴」 と思わず呟いて苦笑した。「待てよ」 獲物を、と立って橋の詰へ寄って行く、とふわふわと着いて来て、板と蘆の根の行き逢った隅へ、足近く、ついと来たが、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・を見透しの縁――そこが座敷――に足を投出して、腹這いになった男が一人、黄色な団扇で、耳も頭もかくしながら、土地の赤新聞というのを、鼻の下に敷いていたのが、と見る間に、二ツ三ツ団扇ばかり動いたと思えば、くるりと仰向けになった胸が、臍まで寛ける・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と、くるりと向いて、ひったり母親のその柔かな胸に額を埋めた。 また顔を見合わせたが、今はその色も変らなかった。「おお、そうかい、夢なんですよ。」「恐かったな、恐かったな、坊や。」「恐かったね。」 からからと格子が開・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・弾丸を込める所は、一度射撃するたびに、おもちゃのように、くるりと廻るのである。それから女に拳銃を渡して、始めての射撃をさせた。 女は主人に教えられた通りに、引金を引こうとしたが、動かない。一本の指で引けと教えられたに、内々二本の指を掛け・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、いきなりくるりと身をひるがえして、逃げるように立ち去ってしまった。ひどくこせこせした歩き方だった。それがなにかあわれだった。 女は特徴のある眇眼を、ぱちぱちと痙攣させた。唇をぎゅっと歪めた。狼狽をかくそうとするさまがありありと見・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 金助がお君に、お前は、と訊くと、お君は、おそらく物心ついてからの口癖であるらしく、表情一つ動かさず、しいていうならば、綺麗な眼の玉をくるりくるりと廻した可愛い表情で、「私か、私はどないでもよろしおま」 あくる日、金助が軽部を訪・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 小沢はくるりと娘に背中を向けた。娘の商売が判ってしまうと、かえって狂暴な男の血が一度に引いてしまったためか。それとも一種のすねた抗議の姿態だろうか。 娘は暫くだまって肩で息をしていたが、いきなり小沢の背中に顔をくっつけて、泣き出し・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫