・・・その著名なるものをあぐれば、クライスト、マインレンデル、ワイニンゲル…… 問 君の交友は自殺者のみなりや? 答 必ずしもしかりとせず。自殺を弁護せるモンテェニュのごときは予が畏友の一人なり。ただ予は自殺せざりし厭世主義者、――ショオ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 八「そうする内に、またお猿をやって、ころりと屈んだ人間ぐれえに縮かまって、そこら一面に、さっと暗くなったと思うと、あやし火の奴め、ぶらぶらと裾に泡を立てて、いきをついて畝って来て、今度はおらが足の舵に搦んで、ひ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ママ、ごよごよは出たり引いたり、ぐれたり、飲んだり、八方流転の、そして、その頃はまた落込みようが深くって、しばらく行方が知れなかった。ほども遠い、……奥沢の九品仏へ、廓の講中がおまいりをしたのが、あの辺の露店の、ぼろ市で、着たのはくたびれた・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・歩行くに連れて、烏の形動き絡うを見て、次第に疑惑を増し、手を挙ぐれば、烏等も同じく挙げ、袖を振動かせば、斉しく振動かし、足を爪立つれば爪立ち、踞めば踞むを透し視めて、今はしも激しく恐怖し、慌しく駈出帽子を目深に、オーバーコートの鼠色・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・そこにて吻と呼吸して、さるにても何にかあらんとわずかに頭を擡ぐれば、今見し処に偉大なる男の面赤きが、仁王立ちに立はだかりて、此方を瞰下ろし、はたと睨む。何某はそのまま気を失えりというものこれなり。 毛だらけの脚にて思出す。以前読みし何と・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・ 疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごとく雨の音水の騒ぎである。最も懊悩に堪えないのは、実際雨が降って音の聞ゆる夜である。わが財産の主脳であるところの乳牛が、雨に濡れ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ただ一人此処に挙ぐれば、現在は中央文壇から遠ざかっているけれども、大谷繞石君がいるだけである。この人は夏目さんの最も好い後継者ではあるまいか。 そしても一つ付加えれば、夏目さんは、殆んどといっても好い位い西洋の新らしい作を読んでいないと・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・という光代の声に辰弥は俯向きたる顔を上ぐれば、向うよりして善平とともに、見知らぬ男のこなたを指して来たりぬ。綱雄様と呼びかけたる光代の顔は見るから活き活きとして、直ちにそなたへと走り行きつつ、まあいついらっしゃったの、どんなに待っていました・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・問わでも武甲山とは知らるるまで姿雄々しくすぐれて秀でたり。横瀬、大宮、上影森、下影森、浦山、上名栗、下名栗の七村に跨れるといえる、まことにさもあるべし。この山のとなえをいつの頃よりか武甲と書きならわししより、終に国の名の武蔵の文字と通わせて・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 即ち死ちょうことに伴なう諸種の事情である、其二三を挙ぐれば、天寿を全うして死ぬのでなく、即ち自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、来世の迷信から其妻子・・・ 幸徳秋水 「死生」
出典:青空文庫