・・・湯豆腐は結構だね」「それでよござんすね。じゃア、花魁お連れ申して下さい」 吉里は何も言わず、ついと立ッて廊下へ出た。善吉も座敷着を被ッたまま吉里の後から室を出た。「花魁、お手拭は」と、お熊は吉里へ声をかけた。 吉里は返辞をし・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・結局双方の智力たがいに相頡頏するに非ざれば、その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり。交際の難きものというべし。而してその難きとは、何事に比すれば難く、何物に比すれば易きや。今の日本の有様にては、これを至難にして比すべきものなしといわざるを・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・かつまた、後来この挙に傚い、ますますその結構を大にし、ますますその会社を盛んにし、もって後来の吾曹をみること、なお吾曹の先哲を慕うが如きを得ば、あにまた一大快事ならずや。ああ吾が党の士、協同勉励してその功を奏せよ。・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾の記」
・・・とこうは思ったものの、さて自分は臆病だ、そんならと云うてこれを決行することが出来なかった。何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・何だか心細い話ではあるがしかし遺稿を一年早く出したからって別に名誉という訳でもないから来年でも出来さえすりゃ結構だ。しかし先日も鬼が笑って居たから気にならないでもないがどうせ死んでから自由は利かないサ ただあきらめて居るばかりだ。時に近頃隣・・・ 正岡子規 「墓」
・・・(いいえもう結構 二人はわらじを解いてそれからほこりでいっぱいになった巻脚絆をたたいて巻き俄かに痛む膝をまげるようにして下駄をもって泉に行った。泉はまるで一つの灌漑の水路のように勢よく岩の間から噴き出ていた。斉田はつくづくかがんでそ・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・文句はあれで結構、身ぶりもあれで結構、おふみの舞台面もあれでよいとして、もしその間におふみと芳太郎とが万歳をやりながら互に互の眼を見合わせるその眼、一刹那の情感ある真面目ささえもっと内容的に雄弁につかまれ活かされたら、どんなに監督溝口が全篇・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 此のしなやかなたよたよしい楓がそよりともしないと云うのは―― 若し指を触れたら温かい血行を感じ人間の皮膚の通りな弾力を感じるだろうと思う程「なまなましたふくらみ」を持って居る木は、私に植物と云うより寧ろどうしても動物――而かも人間・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
・・・其点がはっきりしてこそ、早苗が、只、敵方に騙り寄せられた城将の妻が古来幾度か繰返したような自裁を決行したのか、又は彼女が云うように、国や命を賭けた戦を、彼女の命で裁かれたのか、歴然と一方に事実として照し出されたのではあるまいかと思うのである・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・内外的原因によって過った結婚をし人間としてその異性との生活が、救済の余地無い程の破綻を生じた場合、より以上の不正、人格的堕落を防止する為には、強制的、又相互的離婚を決行するよりほかありますまい。 従来の誤った結婚観念、習慣、制度を改正し・・・ 宮本百合子 「心ひとつ」
出典:青空文庫