・・・孤高狷介のこの四十歳の天才は、憤ってしまって、東京朝日新聞へ一文を寄せ、日本人の耳は驢馬の耳だ、なんて悪罵したものであるが、日本の聴衆へのそんな罵言の後には、かならず、「ただしひとりの青年を除いて」という一句が詩のルフランのように括弧でくく・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・ 以前は何か一つよい映画が出ると、その映画の批評については自分の見解だけが正しくて他の人の批評は皆間違っているかのようにたいそうなけんまくで他の批評家の批評をけなしつけ、こきおろすというふうの人もあったものである。これは、たとえて言わば・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・科学者の研究の目的物は自然現象であってその中になんらかの未知の事実を発見し、未発の新見解を見いだそうとするのである。芸術家の使命は多様であろうが、その中には広い意味における天然の事象に対する見方とその表現の方法において、なんらかの新しいもの・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・科学の区別は別問題として、その人々の科学というものに対する見解やまたこれを修得する目的においても十人十色と云ってよいくらいに多種多様である。実際そのためにおのおの自己の立場から見た科学以外に科学はないと考えるために種々の誤解が生じる場合もあ・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・ それはいずれにしても、武士道というものに対しても西鶴が独自の見解をもっていて、その不合理と矛盾から起る弊害を指摘する心持があったであろうという想像は、マテリアリストとしての彼の全体から判断し推測してそれほど無稽なものではないと思われる・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・かくのごとき見解と期待との相違より生ずる物議は世人一般の科学的知識の向上とともに減ずるは勿論なれども、一方学者の側においても、科学者の自然に対する見方が必ずしも自明的、先験的ならざる事を十分に自覚して、しかる後世人に対する必要もあるべし。(・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・というのは郷里の方言で「狷介」とか「強情」とかを意味し、またそういう性情をもつ人をさしていう言葉である。この二老人はたぶん自分の郷里の人でだれか同郷の第三者のうわさ話をしながら、そういう適切な方言を使ったことと想像される。 それはなんで・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・のみならず自身に取っては芸術上の問題を思索する事によって自分の専門の事柄に対して新しい見解や暗示を得る事も少なくないのである。それと同時に、科学者の芸術論が専門の芸術評論家の眼から見て如何に平凡幼稚なものであっても、芸術家の芸術論と多少でも・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・今の世を見るに、世人は飲食物を初めとして学術文芸に至るまで、各人個有の趣味と見解とを持っていることを認めない。十人十色の諺のあることは知っているらしいが、各自の趣味と見識とはその場合場合に臨んでは、忍んでこれを棄てべきものと思っているらしい・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・その時わたくしは弁駁の辞をつくったが、それは江戸文学に関して少しく見解を異にしているように思ったからで、わたくしは自作の小説については全く言う事を避けた。自作について云々するのはどうも自家弁護の辞を弄するような気がして書きにくかった故である・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
出典:青空文庫