・・・ しばらく無言が続いた後、浅川の叔母は欠伸まじりに、こう洋一へ声をかけた。「ええ、――姉さんも今夜はするって云うから、――」「慎ちゃんは?」 お絹は薄いまぶたを挙げて、じろりと慎太郎の顔を眺めた。「僕はどうでも好い。」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・その拍子に膝の三毛猫は、彼女の膝を飛び下りると、毛並みの美しい背を高くして、快さそうに欠伸をした。「そんな気は誰でも致すものでございますよ。爺やなどはいつぞや御庭の松へ、鋏をかけて居りましたら、まっ昼間空に大勢の子供の笑い声が致したとか・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・盧生は青磁の枕から頭をあげると、眼をこすりながら大きな欠伸をした。邯鄲の秋の午後は、落葉した木々の梢を照らす日の光があってもうすら寒い。「眼がさめましたね。」呂翁は、髭を噛みながら、笑を噛み殺すような顔をして云った。「ええ」「夢・・・ 芥川竜之介 「黄粱夢」
・・・聞くに堪えないような若者どもの馬鹿話も自然と陰気な気分に押えつけられて、動ともすると、沈黙と欠伸が拡がった。「一はたりはたらずに」 突然仁右衛門がそういって一座を見廻した。彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れの・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・物の小半時も聞かされちゃ、噛み殺して居た欠伸の御葬いが鼻の孔から続け様に出やがらあな。業腹だから斯う云ってくれた――待てよ斯う云ったんだ。「旦那、お前さん手合は余り虫が宜過ぎまさあ。日頃は虫あつかいに、碌々食うものも食わせ無えで置いて、・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・の木の実に小遣を出して、枝を蔓を提げるのを、じろじろと流眄して、世に伯楽なし矣、とソレ青天井を向いて、えへらえへらと嘲笑う…… その笑が、日南に居て、蜘蛛の巣の影になるから、鳥が嘴を開けたか、猫が欠伸をしたように、人間離れをして、笑の意・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ と便所の裡で屋根へ投げた、筒抜けな大欠伸。「笑っちゃあ……不可い不可い。」「ははははは、笑ったって泣いたって、何、こんな小僧ッ子の眉毛なんか。」「厭、厭、厭。」 と支膝のまま、するすると寄る衣摺が、遠くから羽衣の音の近・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ と引捻れた四角な口を、額まで闊と開けて、猪首を附元まで窘める、と見ると、仰状に大欠伸。余り度外れなのに、自分から吃驚して、「はっ、」と、突掛る八ツ口の手を引張出して、握拳で口の端をポン、と蓋をする、トほっと真白な息を大きく吹出す…・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・そして柔順で、献身的であった、妻の愛に救われたというより他に、何ものかありません。『彼は、其の日暮らしに、追われている』と、いう蔑視から、資本家や、編輯者等が、いまだ一介の無名の文筆家に対して、彼等の立場から、冷遇しなかったと何んで言えよう・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・そして、第一義の献身的、教化的精神に立つことを回避する。それには、困苦と闘争が予想されるからだ。芸術の権威は、彼等によって、すでに軟化される。そして、表現されたものは芸術本来の姿ではなくして、畢竟自己の趣味化された技巧の芸術となって、第一義・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
出典:青空文庫