・・・ 山岸外史氏来訪。四面そ歌だね、と私が言うと、いや、二面そ歌くらいだ、と訂正した。美しく笑っていた。 月 日。 語らざれば、うれい無きに似たり、とか。ぜひとも、聞いてもらいたいことがあります。いや、もういいのです。ただ、――・・・ 太宰治 「悶悶日記」
・・・案内のじいさんを三リラで雇ったが、早口のドイツ語はよく聞き取れなかった。夏至の日に天井の穴から日が差し込むという事だけはよくわかった。ステインドグラスの説明には年号や使徒の名などがのべつに出て来たが、別に興味を動かされなかった。塔の屋根へ登・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・しかし翰の持出したものは、唖々子の持出した『通鑑』や『名所図会』、またわたしの持出した『群書類従』、『史記評林』、山陽の『外史』『政記』のたぐいとは異って、皆珍書であったそうである。先哲諸家の手写した抄本の中には容易に得がたいものもあったと・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・なぜこんな余計な仮定をして平気でいるかというと、そこが人間の下司な了簡で、我々はただ生きたい生きたいとのみ考えている。生きさえすれば、どんな嘘でも吐く、どんな間違でも構わず遂行する、真にあさましいものどもでありますから、空間があるとしないと・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・庶民は、何が下司であるということは知っているものである。ものには程があるということをわきまえず自分の卑屈さを知らない親王が、絶対主義の裏がえしである闊達さで、「トア・エ・モア」という文化人のダンス・パーティーである流行作家の夫人に「さよなら・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・ 何でもない様でありながら、こんな下司な取りあわせをするかと思うとやたらに、かんしゃくが起った。 貧亡(人の多い、東北らしい事だ! こんな事も思った。 娘 娘だと思われる娘を私は此処に来てから一人も見ない・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・ 若し私達がそれをモデルにした処がいかにも下司な馬鹿馬鹿しい滑稽ほか出されませんからねえ。 そんな事を書くには年も若すぎるし第一あんまり幸福すぎますもの。」 千世子はいかにも研究的な様子をして云った。「ほんとに私共は苦労しら・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・ 貸すための家に出来て居るんだから人が借りるのに無理が有ろう筈もないけれども、なろう事ならあんまり下司張った家族が来ません様にと願って居る。 前に居た人達は、相当に教養があるもんだから、静かな落付きのある生活をして居たが、いつだった・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・おれは下司ではあるが、御扶持を戴いてつないだ命はお歴々と変ったことはない。殿様にかわいがって戴いたありがたさも同じことじゃ。それでおれは今腹を切って死ぬるのじゃ。おれが死んでしもうたら、おぬしは今から野ら犬になるのじゃ。おれはそれがかわいそ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・借りてみるに南翠外史の作、涙香小史の翻訳などなり。 二十三日、家のあるじに伴われて、牛の牢という渓間にゆく。げに此流には魚栖まずというもことわりなり。水の触るる所、砂石皆赤く、苔などは少しも生ぜず。牛の牢という名は、めぐりの石壁削りたる・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫