・・・そして最小の仕事を費やして最大の効果を得るという原則に従った方がいい。卒業試験は正にこの原則に反するものである。」 それでは大学入学の資格はどうしてきめるかとの問に対して、「偶然に支配されるような火の試練でなく、一体の成績によればい・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・果もない波の原を分けて行く船の舷側にもたれて一人の男が立っている。今太陽の没したばかりの水平線の彼方を眺めている。大きな涙の緒が頬を伝わって落ちる。夕映えを受けた帆の色が血のように赤い。 夕映えの雲の形が崩れて金髪の女が現われる。乱れた・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・ 実際には、監督の人によっては、かなりにルースな方法による人はあるであろうが、原則としてはともかくも上記のごとき有機的に制定された道筋を通らなければ一編の有機的な映画はできるはずはないのである。いわゆる「カフスに書いた覚え書き」によって・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・たとえば流氷のようなものでも舷側で押しくずされるぐあいや、海馬が穴から顔をだす様子などから、その氷塊の堅さや重さや厚さなどが、ほとんど感覚的に直観される。雪原の割れ目などでも、橇で乗り越して行く時にくずれるさまなどから、その割れ目の状況や雪・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・オランダ人で伝法肌といったような男がシェンケから大きな釣り針を借りて来てこれに肉片をさし、親指ほどの麻繩のさきに結びつけ、浮標にはライフブイを縛りつけて舷側から投げ込んだ。鱶はつい近くまで来てもいっこう気がつかないようなふうでゆうゆうと泳い・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・基礎的の原理原則を探り当てる大科学者は常に最も無知な最も愚かな人でなければならぬ。学校の教科書を鵜のみにし、先人の研究をその孫引きによって知り、さらに疑う所なくしてこれを知り博学多識となるものはかくのごとき仕事はしとげられないのである。・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・程なく新高知丸の舷側につけば梯子の混雑例のごとし。荷物を上げ座もかまえ、まだ出帆には間もあればと岩亀亭へつけさせ昼飯したゝむ。江上油のごとく白鳥飛んでいよいよ青し。欄下の溜池に海蟹の鋏動かす様がおかしくて見ておれば人を呼ぶ汽笛の声に何となく・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・船の出るとき同行の芳賀さんと藤代さんは帽子を振って見送りの人々に景気のいい挨拶を送っているのに、先生だけは一人少しはなれた舷側にもたれて身動きもしないでじっと波止場を見おろしていた。船が動き出すと同時に、奥さんが顔にハンケチを当てたのを見た・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・それはとにかく、この種の作品中に、原則として、科学的背理が避けられなければならぬという理由はどこにあるか。これは前にも云った通り、作物の舞台面に出ているものは所知者ばかりであり、所知者ばかりの世界はある意味で科学の世界であるからである。この・・・ 寺田寅彦 「文学の中の科学的要素」
・・・さて以上の心理から起こるアタヴィズム的傾向は連句の規約上厳重に抑制せられるから、少なくも完成した古人の連句集には原則としては現われないはずである。しかしこういう人間の本能的な傾向から起こって来る作用の効果はなかなか根強いものであって、そうそ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
出典:青空文庫