・・・夫が繁忙なれば之に代りて手紙往復の必要あり、殊に其病気の時など医師に容体を報じて来診を乞い薬を求むるが如き、妻たる者の義務なり。然るを如何なる用事あるも文を通わす可らずとは、我輩は之を女子の教訓と認めず、天下の奇談として一笑に附し去るのみ。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・政府の故意にして、ことさらに官途の人のみにこれをあたうるに非ず、官職の働はあたかも人物の高低をはかるの測量器なるがゆえに、ひとたび測量してこれを表するに位階勲章をもってして、その地位すでに定まるときは、本人の働は何様にてもこれに関することな・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめ・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・然るに、徳教書編纂の事は、先年も文部省に発起して、すでに故森大臣の時に倫理教科書を草し、その草案を福沢先生に示して批評を乞いしに、その節、先生より大臣に贈りたる書翰ならびに評論一編あり。久しく世人の知らざるところなりしかども、今日また徳教論・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・と言うがごとき、蕪村の故意に用いたるものとおぼし。前人の句またこの語を用いたるものなきにあらねど、そは終止言として用いたるが多きように見ゆ。蕪村のはことさらに終止言ならぬ語を用いて余意を永くしたるなるべし。をさな子の寺なつかしむ銀杏かな・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖へ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、「兄な、兄・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・それはだんだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のような、そらの野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。 するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーショ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・「こいづば鹿さ呉でやべか。それ、鹿、来て喰」と嘉十はひとりごとのように言って、それをうめばちそうの白い花の下に置きました。それから荷物をまたしょって、ゆっくりゆっくり歩きだしました。 ところが少し行ったとき、嘉十はさっきのやすんだと・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感をもって思い出すであろう。戦線の兵士たちが可愛い。法悦・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・廊下で、 男の声 ここいらの住民は兎は食わないんです。 女の声 でも沢山とるんでしょう? カンヅメ工場でも建てりゃいいのに。 思わず答えた。それっきりしずかだ。雪の上によわい日がさしてる。今日は何度もステーションでもないところで・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
出典:青空文庫