・・・ わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされてい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・先生はピヤノに手を触れる事すら日本に来ては口外せぬつもりであったと云う。先生はそれほど浮いた事が嫌なのである。すべての演奏会を謝絶した先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・ただいま本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつづめて書けという注文でしたが、それは書けないと言って断ったくらいです。それじゃアしゃべらないかというと、現にこうやってしゃべりつつある。しゃべる事はあるのですが、秩序と・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・と圭さんはそろそろ慷慨し始める。「君はそんな目に逢った事があるのかい」 圭さんは腕組をしたままふふんと云った。村鍛冶の音は不相変かあんかあんと鳴る。「まだ、かんかん遣ってる。――おい僕の腕は太いだろう」と圭さんは突然腕まくりをし・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・もっともここに時間も空間もないと云うのは作物中にないと云うのではない、自己が作物に対する時間、また自己が占めている空間がないという意味であって、読んで何時間かかるか、また読んでいる場所は書斎の裡か郊外か蓐中かを忘れると云うのと同じ事でありま・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・哲学概論といっても、ロッチェ哲学の梗概に過ぎなかった。その頃ドイツ人でも英語で講義した。中々元気のよい講義をする人で、調子附いて来ると、いつの間にか、英語の発音がドイツ語的となって、ゲネラチョーン・アフタ・ゲネラチョーン*1などとなった。こ・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・そして樹木の多い郊外の屋敷町を、幾度かぐるぐる廻ったあとで、ふと或る賑やかな往来へ出た。それは全く、私の知らない何所かの美しい町であった。街路は清潔に掃除されて、鋪石がしっとりと露に濡れていた。どの商店も小綺麗にさっぱりして、磨いた硝子の飾・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・なり、吾々米国婦人は片時も斯る境遇に安んずるを得ず、死を決しても争わざるを得ず、否な日米、国を殊にするも、女性は則ち同胞姉妹なり、吾々は日本姉妹の為めに此怪事を打破して悪魔退治の法を謀る可しとて、切歯慷慨、涙を払て語りたることあり。我輩は右・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然るに日本人は之を口外して平気なりと言う。当人の知らぬことゝは言いながら羞かしきことならずや。尚お此外にも今の世間に見苦しく聞き苦しきことは一にして足らず。畢竟婦人の罪とのみ言う可らず、社会の先達たる学者教育家の不深切と、政府の筋の無学不注・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・すなわち氏はかつて徳川家の食を食む者にして、不幸にして自分は徳川の事に死するの機会を失うたれども、他人のこれに死するものあるを見れば慷慨惆悵自から禁ずる能わず、欽慕の余り遂に右の文字をも石に刻したることならん。 すでに他人の忠勇を嘉みす・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫