・・・ 新聞を最も必要と感ずる人の種類を考えてみると、それは、広義における投機者であり、また一種特別な意味でのブールジョアである。いい意味での善良な国民、穏和な意味でのプロレタリアは、実際めいめいのまじめな仕事に真剣に従事している限り、拙速主・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・ただそれが真であることによって、そこに間接な広義の美が現われるように思う。科学の目的もただ「真」である。そして科学者にとってはそれが同時に「美」であり得る。 漫画が実物に似ていないにかかわらず真の表現であるという事は、科学上の真というも・・・ 寺田寅彦 「漫画と科学」
・・・それから父の手紙を持って岩渓裳川先生の門に入り、日曜日ごとに『三体詩』の講義を聴いたのである。裳川先生はその頃文部省の官吏で市ヶ谷見附に近い四番町の裏通りに住んでおられた。玄関から縁側まで古本が高く積んであったのと、床の間に高さ二尺ばかりの・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・子は初め漢文を修め、そのまさに帝国大学に入ろうとした年、病を得て学業を廃したが、数年の後、明治三十五、六年頃から学生の受験案内や講義録などを出版する書店に雇われ、二十円足らずの給料を得て、十年一日の如く出版物の校正をしていたのである。俳句の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・博文館は既に頃日、同館とは殆三十年間交誼のある巌谷小波先生に対してさえ、版権侵害の訴訟を提起した実例がある。僕は斯くの如き貪濁なる商人と事を争う勇気がない。 僕は既に貪濁シャイロックの如き書商に銭を与えた。同時に又、翻訳の露西亜小説カラ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・順序は矛盾しましたが、広義の教育、殊に、徳育とそれから文学の方面殊に、小説戯曲との関係連絡の状態についてお話致します。日本における教育を昔と今とに区別して相比較するに、昔の教育は、一種の理想を立て、その理想を是非実現しようとする教育である。・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・余が先生の美学の講義を聴きに出たのは、余が大学院に這入った年で、たしか先生が日本へ来て始めての講義だと思っているが、先生はその時からすでにこう云う顔であった。先生に日本へ来てもう二十年になりますかと聞いたら、そうはならない、たしか十八年目だ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・標題には浮世心理講義録有耶無耶道人著とかいてある。「何だか長い名だ、とにかく食道楽じゃねえ。鎌さん一体これゃ何の本だい」と余の耳に髪剃を入れてぐるぐる廻転させている職人に聞く。「何だか、訳の分らないような、とぼけた事が書いてある本だ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・の捷径はこれに限るよと降参人と見てとっていやに軽蔑した文句を並べる、不肖なりといえども軽少ながら鼻下に髯を蓄えたる男子に女の自転車で稽古をしろとは情ない、まあ落ちても善いから当り前の奴でやってみようと抗議を申し込む、もし採用されなかったら丈・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ その頃の哲学科は、井上哲次郎先生も一両年前に帰られ、元良、中嶋両先生も漸く教授となられたので、日本人の教授が揃うたのだが、主としてルードヴィヒ・ブッセが哲学の講義をしていた。この人はその頃まだ三十そこらの年輩の人であった。ベルリンでロ・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
出典:青空文庫