・・・文芸家協会として、まとまった有効な抗議もされなかった。日本の文化は、もうすでに文化を守る生活力を失っていたのであった。 一九三三年の春、プロレタリア文化団体が壊滅させられた後、ファシズムに抗する人民戦線の問題、文学における能動精神がフラ・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・野草のたべかたについての講義――云いかえれば、私たち日本の人間が、どうしたらもっと山羊に近くなるか、とでも云うようなお話まで堂々とされます。これは公の席で、公の議論としてされているのです。 もし、今日の食糧事情が、真に公の問題として・・・ 宮本百合子 「公のことと私のこと」
・・・行動主義文学は、発生の根源に於て広義には純文学の血脈をひいたものであり、その意味で当面の文壇的利害に制せられる多くの要素を含んでいた。同時に他の一面では「ひかげの花」に文学的反撥を示したその前進的な方向がおのずから語っているようにプロレタリ・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 若し名をつけられるなら、それは、神という言葉の広義な場合が適当であろう。自分が、努力し、自分の力でその力のうちに、滲透して行きさえすれば、どこまでも拒むことなく入れてはくれる。けれども、自分が死ぬべきときがくれば、その同じ力は、自分を・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・当時、その師父等と交誼のあった日本の君子等は、勿論知識と信仰とに呼醒されたこともあったに違いないが、純粋にその渇仰のみによってそうだったのだろうか。日本に於ける基督教布教史は当時乱世の有様に深く鋭く人生の疑問も抱いた敏感な上流の若い貴公子、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ 斯くてバルザックは一八五〇年、ロシアのウクライナで二十年来交誼のあったハンスカ夫人と結婚し、パリに帰ったが、既にウクライナで病んでいた心臓病が重って、八月十八日、五十一歳の多岐にして矛盾に満ち、その矛盾において十九世紀初頭のフラン・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・生活の楽しさ、世界のひろさ、又その近さ、交誼の平安。それらの感情とは或は全然反対の不安、期待、好奇心を刺戟されることのラジオのニュース価値は増大して来ているのを見のがせないところに、深刻な今日の生活と文化との問題があると思う。 日本全国・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
・・・現在は、菊池寛氏のように恋愛を広義の遊蕩、彼のいわゆる男の生物的多妻主義の実行場面と見、結婚を市民的常識にうけいれられた生殖の場面、育児の巣と二元的に考える中年の重役的認識と、恋愛は楽しくロマンティックで奔放で、結婚は人生の事務であると打算・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・昨年彼新聞が六千号を刊するに至ったとき、主筆が我文を請われて、予は交誼上これに応ぜねばならぬことになったので、乃ち我をして九州の富人たらしめばという一篇を草して贈った。その時新聞社の一記者は我文に書後のようなものを添えて読者に紹介せられた。・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・大学にいる間、秀麿はこの期にはこれこれの講義を聴くと云うことを、精しく子爵の所へ知らせてよこしたが、その中にはイタリア復興時代だとか、宗教革新の起原だとか云うような、歴史その物の講義と、史的研究の原理と云うような、抽象的な史学の講義とがある・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫