・・・さて牢屋敷から棧橋まで連れて来る間、この痩肉の、色の青白い喜助の様子を見るに、いかにも神妙に、いかにもおとなしく、自分をば公儀の役人として敬って、何事につけても逆らわぬようにしている。しかもそれが、罪人の間に往々見受けるような、温順を装って・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・ 秀吉がキリシタン追放令を発布してから六年後の文禄二年に、当時五十二歳であった家康は、藤原惺窩を呼んで『貞観政要』の講義をきいた。五十八歳の秀吉が征明の計画で手を焼いているのを静かにながめながら、家康は、馬上をもって天下を治め得ざるゆえ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・という運命への反撥心は、要するに事実において自己の性格に対する抗議である。しかもそれは無意識的なるゆえに、自己そのものを責めることをせずしてむしろ漠然とある「不運」というごときものを呪う気持ちになる。ここに迷妄と怯懦とのひそむことを忘れては・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
・・・表面上には交誼を続けて薄情のそしりを避けるなどは、私には到底できないことであった。私は徹底を要求するために、態度の不純に堪え得ないがために、ついに彼らを捨てた。――それを何ゆえに苦しむのか。 われわれのように小さい峠を乗り超えて来たもの・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫