・・・これは恐らく、彼の満足が、暗々の裡に論理と背馳して、彼の行為とその結果のすべてとを肯定するほど、虫の好い性質を帯びていたからであろう。勿論当時の彼の心には、こう云う解剖的な考えは、少しもはいって来なかった。彼はただ、春風の底に一脈の氷冷の気・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・僕は肯定してやっていたのだ。』私は三度意外な答に驚かされて、しばらくはただ茫然と彼の顔を見つめていると、三浦は少しも迫らない容子で、『それは勿論妻と妻の従弟との現在の関係を肯定した訳じゃない。当時の僕が想像に描いていた彼等の関係を肯定してや・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「諸君、先週わたしの申し上げた所は御理解になったかと思いますから、今日は更に一歩進んだ『半肯定論法』のことを申し上げます。『半肯定論法』とは何かと申すと、これは読んで字の通り、或作品の芸術的価値を半ば肯定する論法であります。しかしその『・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・昔一高の校庭なる菩提樹下を逍遥しつつ、談笑して倦まざりし朝暮を思えば、懐旧の情に堪えざるもの多し。即ち改造社の嘱に応じ、立ちどころにこの文を作る。時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。・・・ 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・ 大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買って、玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮しをし始めました。蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の竜眼肉をとりよせるやら、日に四度色の変る牡丹を庭に植えさせるやら、白孔雀を何羽も放し飼いにするやら、玉を集・・・ 芥川竜之介 「杜子春」
・・・その中で頭の上の遠くに、菱の花びらの半ばをとがったほうを上にしておいたような、貝塚から出る黒曜石の鏃のような形をしたのが槍が岳で、その左と右に歯朶の葉のような高低をもって長くつづいたのが、信濃と飛騨とを限る連山である。空はその上にうすい暗み・・・ 芥川竜之介 「槍が岳に登った記」
・・・ ではどう云う訣でお島婆さんが、それほどお敏と新蔵との恋の邪魔をするかと云いますと、この春頃から相場の高低を見て貰いに来るある株屋が、お敏の美しいのに目をつけて、大金を餌にあの婆を釣った結果、妾にする約束をさせたのだそうです。が、それだ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・なだらかに高低のある畑地の向こうにマッカリヌプリの規則正しい山の姿が寒々と一つ聳えて、その頂きに近い西の面だけが、かすかに日の光を照りかえして赤ずんでいた。いつの間にか雲一ひらもなく澄みわたった空の高みに、細々とした新月が、置き忘れられた光・・・ 有島武郎 「親子」
・・・その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致したもので、両階級の間・・・ 有島武郎 「片信」
・・・詩の存在の理由を肯定するただ一つの途である。 以上のいい方はあまり大雑駁ではあるが、二三年来の詩壇の新らしい運動の精神は、かならずここにあったと思う。否、あらねばならぬと思う。かく私のいうのは、それらの新運動にたずさわった人たちが二三年・・・ 石川啄木 「弓町より」
出典:青空文庫