・・・ 後年夏目先生の千駄木時代に自筆絵はがきのやりとりをしていたころ、ふと、この伯母のたぬきの踊りの話を思い出して、それをもじった絵はがきを先生に送った。ちょうど先生が「吾輩は猫である」を書いていた時だから、さっそくそれを利用されて作中の人・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・人のはいらないような茂みの中には美しいフェアリーや滑稽なゴブリンの一大王国があったのである。後年「夏夜の夢」を観たり「フォーヌの午後」を聞いたりするたびに自分は必ずこの南国の城山の茂みの中の昆虫の王国を想いだした。しかし暑いことも無類であっ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ワールブルヒは腎臓でもわるいかと思われるように顔色が悪く肥大していて一向に元気がなかったが、ゴールトシュタインは高年にかかわらず顔色も若々しく明るい上品な感じのする人であった。プランクはこの人に対していつもわざとらしからぬ敬意を表しているよ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・父はわたくしが立止って顔の上に散りかかる落梅を見上げているのを顧み、いかにも満足したような面持で、古人の句らしいものを口ずさんで聞かされたが、しかしそれは聞き取れなかった。後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ 森先生の渋江抽斎の伝に、その子優善が持出した蔵書の一部が後年島田篁村翁の書庫に収められていた事が記されてある。もし翰が持出した珍書の中にむかし弘前医官渋江氏旧蔵のものが交っていたなら、世の中の事は都て廻り持であると言わなければならない・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・されば、男尊女卑、主公圧制、家人卑屈の組織は、不品行の家に欠くべからざるの要用にして、日々夜々、後進の子女をこの組織の中に養育することなれば、その子女後年の事もまた想い見るべし。我輩の特に憐れむ所のものなり。天下広し家族多しといえども、一家・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・原始キリスト教では、キリスト復活の第一の姿をマリアが見たとされて、愛の深さの基準で神への近さがいわれたのだが後年、暗黒時代の教会はやはり女を地獄と一緒に罪業の深いものとして、女に求める女らしさに生活の受動性が強調された。 十九世紀のヨー・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・そのちがいは、後年の社会に対する態度にも及んでいることが肯ける。二つの性格が、この二人の作家にそれだけ違う境遇をもたらしたのだった。このちがいは中国で歴史の波が大きく動くにつれてこの二人の生涯を変化させた。遂にこの兄と弟とを中国の歴史と世界・・・ 宮本百合子 「兄と弟」
・・・ なるほど、小さい絵はがきに見るこの源氏物語図屏風にしろ、魅力をもって先ず私たちをとらえるのは、大胆な裡にいかにもふっくり優しさのこもった動きで展開されている独特な構図の諧調である。 後年光琳の流れのなかで定式のようになった松の翠の・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 後年、有島武郎が客観的に見れば平凡と云い得る女主人公葉子に対して示した作家的傾倒の根源は既に遠い昔に源をもっていることを理解し得るのである。 作者が独立教会からも脱退し、キリスト教信者の生活、習俗に対して深い反撥を感じていた時・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
出典:青空文庫