・・・わかり次第、後便でお知らせする、と言ってやったが、どうにも、彼等一家の様子をさぐる手段は無かった。それからも僕は、君に手紙を書き、また雑誌なども送ってやったが、君からの返事は、ぱったり無くなった。そのうちに、れいの空襲がはじまり、内地も戦場・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・恰も倹約の幸便に格式りきみをするがごとくにして、綿服の者は常に不平を抱き、到底倹約の永久したることなし。 また今を去ること三十余年、固め番とて非役の徒士に城門の番を命じたることあり。この門番は旧来足軽の職分たりしを、要路の者の考に、足軽・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・西麓に形ばかりなる草庵を営み罷在候えども、先主人松向寺殿御逝去遊ばされて後、肥後国八代の城下を引払いたる興津の一家は、同国隈本の城下に在住候えば、この遺書御目に触れ候わば、はなはだ慮外の至に候えども、幸便を以て同家へ御送届下されたく、近隣の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
出典:青空文庫