・・・お池の岩の上の亀の首みたいなところがあるぞ。稿料はいったら知らせてくれ。どうやら、君より、俺の方が楽しみにしているようだ。たかだか短篇二つや三つの註文で、もう、天下の太宰治じゃあちょいと心細いね。君は有名でない人間の嬉しさを味わないで済んで・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ ああ、荒涼。四畳半。その畳の表は真黒く光り、波の如く高低があり、縁なんてその痕跡をさえとどめていない。部屋一ぱいに、れいのかつぎの商売道具らしい石油かんやら、りんご箱やら、一升ビンやら、何だか風呂敷に包んだものやら、鳥かごのようなもの・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 私はこの荒涼の風景を眺めて、暫くぼんやりしていた。霧はいよいようすらいで、日の光がまんなかの峯にさし始めた。霧にぬれた峯は、かがやいた。朝日だ。それが朝日であるか、夕日であるか、私にはその香気でもって識別することができるのだ。それでは・・・ 太宰治 「猿ヶ島」
・・・は、その内容の物語とおなじく悲劇的な結末を告げたけれど、彼の心のなかに巣くっている野性の鶴は、それでも、なまなまと翼をのばし、芸術の不可解を嘆じたり、生活の倦怠を託ったり、その荒涼の現実のなかで思うさま懊悩呻吟することを覚えたわけである。・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・五円の割でお金下さい。五円、もとより、いちどだけ。このつぎには、五十銭でも五銭でも、お言葉にしたがいますゆえ、何卒、いちど、たのみます。五円の稿料いただいても、けっしてご損おかけせぬ態の自信ございます。拙稿きっと、支払ったお金の額だけ働いて・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・さもなくば商才、人に倍してすぐれ、画料、稿料、ひとより図抜けて高く売りつけ、豊潤なる精進をこそすべき也。これ、しかしながら、天賦の長者のそれに比し、かならず、第二流なり。」 定理 苦しみ多ければ、それだけ、報いられる・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・原稿用紙を三十枚も破った。稿料六十円を請求する。バカ。いま払えなかったら貸して置く。 太宰治 「無題」
・・・原稿用紙、六百枚にちかいのであるが、稿料、全部で六十数円である。 けれども、私は、信じて居る。この短篇集、「晩年」は、年々歳々、いよいよ色濃く、きみの眼に、きみの胸に滲透して行くにちがいないということを。私はこの本一冊を創るためにのみ生・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・畑にはもう熟しかけた高粱が連なっているばかりだ。けれど新鮮な空気がある、日の光がある、雲がある、山がある、――すさまじい声が急に耳に入ったので、立ち留まってかれはそっちを見た。さっきの汽車がまだあそこにいる。釜のない煙筒のない長い汽車を、支・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・聯想は聯想を生んで、その身のいたずらに青年時代を浪費してしまったことや、恋人で娶った細君の老いてしまったことや、子供の多いことや、自分の生活の荒涼としていることや、時勢におくれて将来に発達の見込みのないことや、いろいろなことが乱れた糸のよう・・・ 田山花袋 「少女病」
出典:青空文庫