・・・しかし私はその直感を固執するのでありません。私自身にとってもその直感は参考にしか過ぎないのです。ほんとうの死因、それは私にとっても五里霧中であります。 しかし私はその直感を土台にして、その不幸な満月の夜のことを仮に組み立ててみようと思い・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・という吉田にとっては非常に苦痛な考えを固執していてそれを取り上げなかった。そしてこんな場合になっては吉田はやはり一匹の猫ぐらいでその母親を起こすということはできがたい気がするのだった。吉田はまた猫のことには「こんなことがあるかもしれないと思・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ すなわち一つは宇宙の生命の法則の見地から見て、かりのきめであって、固執すると無理があるということだ。も一つはたとい多少の無理を含んでいても、進化してきた人間の理想として、男女の結合の精神的、霊的指標として打ち立て、築き守って、行くべき・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・また、晩ごはんのときには、ひとり、ひとりお膳に向って坐り、祖母、母、長兄、次兄、三兄、私という順序に並び、向う側は、帳場さん、嫂、姉たちが並んで、長兄と次兄は、夏、どんなに暑いときでも日本酒を固執し、二人とも、その傍に大型のタオルを用意させ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・そうして帰途は必ず、何くそ、と反骨をさすり、葛西善蔵の事が、どういうわけだか、きっと思い出され、断乎としてこの着物を手放すまいと固執の念を深めるのである。 単衣から袷に移る期間はむずかしい。九月の末から十月のはじめにかけて、十日間ばかり・・・ 太宰治 「服装に就いて」
大正十二年八月二十四日 曇、後驟雨 子供等と志村の家へ行った。崖下の田圃路で南蛮ぎせるという寄生植物を沢山採集した。加藤首相痼疾急変して薨去。八月二十五日 晴 日本橋で散弾二斤買う。ランプの台に入れるため。・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・それはあるいは伝習を固執するアカデミックな画家や鑑賞家の眼からは甚だ不都合なものであるかもしれないが、ともかくも自分だけは自然の色彩に関する新しい見方と味わい方を教えられて来たのである。それからまた同君の図案を集めた帖などを一枚一枚見て行く・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・いかなる赤誠があっても、それがその人一人の自我に立脚したものであって、そうしてその赤誠を固執し強調するにのみ急であって、環境の趨勢や民心の流露を無視したのでは、到底その機関の円滑な運転は望まれないらしい。内閣にしてもその閣僚の一人一人がいか・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・とかいうものを固執して他流を排斥しあるいは罵詈するようなこともかなり多い。門外の風来人から見ると、どの流派にもみんなそれぞれのおもしろいところとおもしろくないところもあるように思われ、またいろいろの「主張」がいったい本質的にどこがちがうのか・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ こういうふうに考えて来ると、ある一人が創成した新型式をその創成者自身が唯一絶対のものであるかのごとく固執しているのに対する、局外者の批判の態度のおのずから定まって来るであろうと思われる。 新型式中でも最も思い切った新型式としては、・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
出典:青空文庫