汽笛一声京城を後にして五十三亭一日に見尽すとも水村山郭の絶風光は雲煙過眼よりも脆く写真屋の看板に名所古跡を見るよりもなおはかなく一瞥の後また跡かたを留めず。誰かはこれを指して旅という。かかる旅は夢と異なるなきなり。出ずるに・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・彼は、役場に用事があった時、戸籍係に、沢や婆さんの戸籍を調べて貰った。彼は三十四年目で始めて、彼女が有坂イサヲと云う姓名で、籍は二里近く離れた柳田村にあることを知った。 此那奇蹟的関心が沢や婆に払われるには原因があった。仙二の家の納屋を・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・帝大とよばれた時代でも学力と学資があれば、もちろん、士族、平民という戸籍上の差別が入学者の資格を左右するものではなかった。しかし、日本のあらゆる官僚機構と学界のすべての分野に植えこまれている学閥の威力は、帝大法科出身者と日大の法科出身者とを・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・まして私生子というような区別を戸籍の上にさえおかない様になってきている今日、子供はすべて社会の子供として生命を保証される権利があります。そして私どもにはその義務があります。婦人少年局ができて婦人と小さい人の全生活に関する調査や提案を政府に向・・・ 宮本百合子 「“生れた権利”をうばうな」
・・・何かとびっくりしたらお手紙と戸籍抄本とが入って居りました。安心したといっておよろこびでした。又あなたからのお手紙もついた由。今度のお手紙には、初めて「母より」と書いてあって、私は様々の感慨に打たれました。そして、又、島田へ行ってお手紙という・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・まず生き還ってから、戸籍の上に存在するという手続きを経てから選挙手続きも改めてとらなければならない。これらの人々の一票は投票箱に落ちる時人生のどんな響きを立てることだろう。ドストイェフスキイは、ロシアの革命運動に参加した理由で死刑を宣告され・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
・・・ ――私、戸籍登記所で改名する! ワーニカは、マトリョーナの赤い頬っぺたと、そこへおちてる金髪を眺めた。 ――マクシムに私注意した、もう。でもあいつがそれをきかない訳知ってる? マトリョーナだからさ! 私が。 ワーニカは思わ・・・ 宮本百合子 「ワーニカとターニャ」
・・・世界は確かに古昔の元子論者が見たごとくある基本要素の離合散集によって生じたのである。霊魂は肉体の作用であり肉体とともに滅びる。死とは活動の休止であり組織の解体であるがゆえに死後の生があるわけはない。この事実から眼をそむけて神と死後の生とを仮・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・夏目漱石は西田先生の戸籍面の生年である明治元年の生まれであるが、明治四十年に朝日新聞にはいって、続き物の小説を書き始めた時には、わたくしたちは実際老大家だと思っていた。だから明治四十二年に正味の年が四十歳であった西田先生も、同じく老大家に見・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫