・・・ 古典 古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼等の死んでいることである。 又 我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼等の死んでいることである。 幻滅した芸術家 或一群の芸術家は幻滅・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。「麒麟はつまり一角獣ですね。それから鳳凰もフェニックスと云う鳥の、……」 この名高い漢学者はこう云う僕の話にも興味を感じているらしかった。僕は機械的にしゃべっているうちにだんだん病的な・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 詩は古典的でなければならぬとは思わぬけれども、現在の日常語は詩語としてはあまりに蕪雑である、混乱している、洗練されていない。という議論があった。これは比較的有力な議論であった。しかしこの議論には、詩そのものを高価なる装飾品のごとく・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ すぐ角を曲るように、樹の枝も指せば、おぼろげな番組の末に箭の標示がしてあった。古典な能の狂言も、社会に、尖端の簇を飛ばすらしい。けれども、五十歩にたりぬ向うの辻の柳も射ない。のみならず、矢竹の墨が、ほたほたと太く、蓑の毛を羽にはいだよ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・一方は溢れるばかりの思想と感情とを古典的な行動に包んだ老独身者のおもかげだ。また一方はその性情が全く非古典的である上に、無神経と思われるまでも心の荒んだ売女の姿だ。この二つが、まわり燈籠のように僕の心の目にかわるがわる映って来るのである。・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ その時私より三、四十分も遅れて大学の古典漢文科の出身だというYが来問した。この人の口から日本将来の文章という問題が提起された。その時の二葉亭の答が、今では発揮と覚えていないが、何でもこういう意味であった。「一体文章の目的は何である乎。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・考えてみれば、日本は明治以後まだ百年にもならぬのに、明治大正の作家が既に古典扱いをされて、文学の神様となっているのは、どうもおかしいことではないか。しかも、一たび神様となるや、その権威は絶対であって、片言隻句ことごとく神聖視されて、敗戦後各・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・それ故、若い頃に読んだ古典はあとで必ず読みかえすべきであると思う。若い頃に読んだから、もう一度読みかえすのは御免だというのであれば、はじめから読んで置かない方がましであろう。日本の古典なども、僕らが学生時代にしきりに古典復興を唱えている先生・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
ある秋仏蘭西から来た年若い洋琴家がその国の伝統的な技巧で豊富な数の楽曲を冬にかけて演奏して行ったことがあった。そのなかには独逸の古典的な曲目もあったが、これまで噂ばかりで稀にしか聴けなかった多くの仏蘭西系統の作品が齎らされ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・ああ、古典的完成、古典的秩序、私は君に、死ぬるばかりのくるしい恋着の思いをこめて敬礼する。そうして、言う。さようなら。 むかし、古事記の時代に在っては、作者はすべて、また、作中人物であった。そこに、なんのこだわりもなかった。日記は、その・・・ 太宰治 「一日の労苦」
出典:青空文庫