上田豊吉がその故郷を出たのは今よりおおよそ二十年ばかり前のことであった。 その時かれは二十二歳であったが、郷党みな彼が前途の成功を卜してその門出を祝した。『大いなる事業』ちょう言葉の宮の壮麗しき台を金色の霧の裡に描・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ ブース夫婦、ガンジー夫婦、リープクネヒト夫婦、孫逸仙と宋慶齢女史、乃木大将夫婦これらは、子どもの有無はともかく同じ公なる道、事業に心をあわせ、力を一つにして、夫婦愛が固くなったものだ。やんごとなき仏にならせわがために死にしここ・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・潭水湖の電気事業工事のために、一日十五六時間働かして僅かに七銭か八銭しか賃銀を与えず、蕃人に労働を強要したのだ。そしてその電気事業のために、蕃人の家屋や耕作地を没収しようとしたのだ。蕃人の生活は極端に脅かされた。そこで、 蕃人たちは昨年十月・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・骨董商はちょっと取片付けて澄ましているものだが、それだって何も慈善事業で店を開いている訳ではない、その道に年期を入れて資本を入れて、それで妻子を過しているのだから、三十円のものは口銭や経費に二十円遣って五十円で買うつもりでいれば何の間違はな・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・その計画し、もしくは着手した事業を完成せず、中道にして廃するのを遺憾とするのもある。子孫の計がいまだならず、美田をいまだ買いえないで、その行く末を憂慮する愛着に出るのもあろう。あるいは単に臨終の苦痛を想像して、戦慄するのもあるかも知れぬ。・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・巌本君が心配して、押川方義氏を連れて、一度公園の家を訪ねて、宗教事業にでも携わったらどうか、という話をしたという事を聞いたが、後で私が訪ねて行くと、「巌本君達が来て、宗教の話をして呉れたが、どうしても僕には信じるという心が起らないからね」と・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・ 先、堯典に見るにその事業は羲氏・和氏に命じて暦を分ちて民の便をはかり、その子を措いて孝道を以て聞えたる舜を田野に擧げて、之に位を讓れることのみ。而してその特異なる點は天文暦日に關するもの也。即ち天に關する分子なり。 次に舜典に徴す・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・至難の事業である。けれども、何とかして、そこに、到達したい。右往も左往も出来ない窮極の場所に坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。 大・・・ 太宰治 「一燈」
・・・「遼陽陥落の日に……日本の世界的発展のもっとも光栄ある日に、万人の狂喜している日に、そうしてさびしく死んで行く青年もあるのだ。事業もせずに、戦場へ兵士となってさえ行かれずに」こう思うと、その青年、田舎に埋もれた青年の志ということについて、脈・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・要するに教育事業を救うの道はただ一語で「もっと眼に浮ぶようにする」という事である。出来る限りは知識が体験がにならねばならない。この根本方針は未来の学校改革に徹底させるべきものである。」 大学あたりの高等教育についてはあまり立入った話はし・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
出典:青空文庫