・・・ 火鼠の裘ですか、蓬莱の玉の枝ですか、それとも燕の子安貝ですか? 小町 まあ、お待ちなさい。わたしのお願はこれだけです。――どうかわたしを生かして下さい。その代りに小野の小町を、――あの憎らしい小野の小町を、わたしの代りにつれて行って下・・・ 芥川竜之介 「二人小町」
・・・「ああ、誓願のその一、求児――子育、子安の観世音として、ここに婦人の参詣がある。」 世に、参り合わせた時の順に、白は男、紅は女の子を授けらるる……と信仰する、観世音のたまう腹帯である。 その三宝の端に、薄色の、折目の細い、女扇が・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 椿岳の米三郎は早くから絵事に志ざした風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄貴の世話で淡島屋の婿養子となったのだ。であるから、金が自由になると忽ちお・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 塾では更に校舎の建増を始めた。教員の手が足りなくて、翌年の新学年前には広岡理学士が上田から家を挙げて引移って来た。 子安という新教員も、高瀬が東京へ行った序に頼んで来た。子安は、高瀬も逢ったことが無い。人の紹介だ。塾ではどんな新教・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 病院で手術した患者の血や、解剖学教室で屍体解剖をした学生の手洗水が、下水を通して不忍池に流れ込み、そこの蓮根を肥やすのだと云うゴシップは、あれは嘘らしい。 廊下の東詰の流しの上の明かり窓から病院の動物小屋が見える。白兎やモルモット・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・日本には昔からずいぶんいろいろな危険思想が海外から幾度となく輸入されたが、それが抑圧に抗しながらやっと土着するころにはいつのまにかすっかり消化され日本化されてしまって結局はみんな大日本を肥やす肥料になっていた。 しかし科学的物質的の侵略・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
・・・ 草鞋の緒きれてよりこむ薄かな 末枯や覚束なくも女郎花 熱海に着きたる頃はいたく疲れて飢に逼りけれども層楼高閣の俗境はわが腹を肥やすべきの処にあらざればここをも走り過ぎて江の浦へと志し行く。道皆海に沿うたる断崖の上にあり・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・ 段々本気に子安講のことを討論しはじめた。部落で一戸ある裏切者を中心に四五人がかたまってその講をたて飲んだり食ったりしているんだそうだ。「――みんなあ、産が安かんべと思って、講さ入ってるのよ」「講さ入んねえばって生めるよ。入っていて・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
出典:青空文庫