・・・という渾名を彼に与えた。この「馬鹿正直」を徹底させたものが今日の彼の仕事になろうとは、誰も夢にも考えなかった事であろう。 音楽に対する嗜好は早くから眼覚めていた。独りで讃美歌のようなものを作って、独りでこっそり歌っていたが、恥ずかしがっ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・という渾名を奉っていた。理由は簡単なことで、いかなる病気にでもその処方に杏仁水の零点幾グラムかが加えられるというだけである。いつか診察を受けに行ったときに、先に来ていた一学生が貰った処方箋を見ながら「また、杏仁水ですか」と云ってニヤリとした・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・村夫子はなるほど猫も杓子も同じ人間じゃのにことさらに哲人などと異名をつけるのは、あれは鳥じゃと渾名すると同じようなものだのう。人間はやはり当り前の人間で善かりそうなものだのに。と答えてこれもからからと笑う。 余は晩餐前に公園を散歩するた・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・この時ルーファスの次に座を占めたるウィリアムが「渾名こそ狼なれ、君が剣に刻める文字に耻じずや」と右手を延ばしてルーファスの腰のあたりを指す。幅広き刃の鍔の真下に pro gloria et patria と云う銘が刻んである。水を打った様な・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・われわれがこれを渾名してカッパードシヤといっている。何故カッパードシヤというかというと、なんでもカッパードシヤとか何とかいう希臘の地名か何かある。今は忘れてしまいましたが、希臘の歴史を教える時、その先生がカッパードシヤカッパードシヤと一時間・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・姓はペン渾名は bedge pardon なる聖人の事を少しく報道しないでは何だか気がすまないから、同君の事をちょっと御話して、次回からは方面の変った目撃談観察談を御紹介仕ろう。そもそもこのペンすなわち内の下女なるペンになぜ我輩がこの渾名を・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・の中に赤シャツという渾名をもっている人があるが、あれはいったい誰の事だと私はその時分よく訊かれたものです。誰の事だって、当時その中学に文学士と云ったら私一人なのですから、もし「坊ちゃん」の中の人物を一々実在のものと認めるならば、赤シャツはす・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・という言葉が用いられはじめて、プロレタリア文学運動の組織が破壊されたのちの日本の文化・文学が見出したものは、全面的な混迷と貧血とであった。「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」は総括的にこの時期を展望している。プロレタリア文学運動の組・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・身もだえする若い妻としての思いに屈して何年もすごして来ていた作者が、その心情の昏迷に飽き疲れて自分という始末のつかないものの身辺から遠くはなれてそれを眺めることができる題材。観察し、描くことのできる何かをつかまえたい本能的な欲望が作用してい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・ そして、そういう現代の女性の比較的表現されていない気持は、後輩や娘たちが当事者として、異性との間に友情と恋愛の感情の区別をはっきり自覚しないでいろいろ混迷しているとおり、やはり事態に対して何となし判断の混乱におかれている場合がすくなく・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
出典:青空文庫