・・・「ある時石川郡市川村の青田へ丹頂の鶴群れ下れるよし、御鳥見役より御鷹部屋へ御注進になり、若年寄より直接言上に及びければ、上様には御満悦に思召され、翌朝卯の刻御供揃い相済み、市川村へ御成りあり。鷹には公儀より御拝領の富士司の大逸物を始め、・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・おお、姫神――明神は女体にまします――夕餉の料に、思召しがあるのであろう、とまことに、平和な、安易な、しかも極めて奇特な言が一致して、裸体の白い娘でない、御供を残して皈ったのである。 蒼ざめた小男は、第二の石段の上へ出た。沼の干たような・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・らの奸計に陥入り、俄に寄する数万の敵、味方は総州征伐のためのみの出先の小勢、ほかに援兵無ければ、先ず公方をば筒井へ落しまいらせ、十三歳の若君尚慶殿ともあるものを、卑しき桂の遊女の風情に粧いて、平の三郎御供申し、大和の奥郡へ落し申したる心外さ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・鶴を読め、鶴を読めと激しい語句をいっぱい刷り込んだ五寸平方ほどのビラを、糊のたっぷりはいったバケツと一緒に両手で抱え、わかい天才は街の隅々まで駈けずり廻った。 そんな訳ゆえ、彼はその翌日から町中のひとたちと知合いになってしまったのに何の・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・なにわぶしの語句、「あした待たるる宝船。」と、プウシキンの詩句、「あたしは、あした殺される。」とは、心のときめきに於いては同じようにも思われるだろうが、熟慮半日、確然と、黒白の如く分離し在るを知れり。宿題「チェック・チャック・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・それには、この詩形が国語を構成する要素としての語句の律動の、最小公倍数とか、最大公約数とかいったようなものになるという、そういう本質的内在的な理由もあったであろうが、また一方では、はじめはただ各個人の主観的詠嘆の表現であったものが、後に宮廷・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
・・・私見によるとおそらくこれは四拍子の音楽的拍節に語句を配しつつ語句と語句との間に適当な休止を塩梅する際に自然にできあがった口調から発生したものではないかと想像されるのであるが、これについては別の機会に詳説することとして、ここではともかくそうし・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・まるで御供のようだね」「うふん。時に昼は何を食うかな。やっぱり饂飩にして置くか」と圭さんが、あすの昼飯の相談をする。「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉箸を食うようで腹が突張ってたまらない」「では蕎麦か」「蕎麦も御免だ。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・慶応四年春、浪華に行幸あるに吾宰相君御供仕たまへる御とも仕まつりに、上月景光主のめされてはるばるのぼりけるうまのはなむけに天皇の御さきつかへてたづがねののどかにすらん難波津に行すめらぎの稀の行幸御供する君のさ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・しこうしてその文字の中には胸裏に蟠る不平の反応として厭世的または嘲俗的の語句を見るもまた普通のことなり。これ貧に安んずる者に非ずして貧に悶ゆる者。曙覧はたして貧に悶ゆる者か否か。再びこれをその歌詠に徴せん。〔『日本』明治三十二年三月二十三日・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
出典:青空文庫