・・・ト草履は、見た眼にも優雅で、それに劇場や図書館、その他のビルディングにはいる時でも、下駄の時のように下足係の厄介にならずにすむから、私も実は一度はいてみた事があるのであるが、どうも、足の裏が草履の表の茣蓙の上で、つるつる滑っていけない。頗る・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・つりと売払い、いまは全く茶道と絶縁の浅ましき境涯と相成申候ところ、近来すこしく深き所感も有之候まま、まことに数十年振りにて、ひそかに茶道の独習を試み、いささかこの道の妙訣を感得仕り申候ものの如き実情に御座候。 それ覆載の間、朝野の別を問・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・「然る処続冬彦集六八頁第二行に、『速度の速い云々』と有之り之は素人なら知らぬ事物理学者として云ふべからざる過誤と存じ候、次の版に於ては必ず御訂正あり度し 失礼を顧みず申上ぐる次第に御座候 敬具」 なるほど、物理学では速度の大・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・そうして梨を作り、墨絵をかきなぐり、めりやすを着用し、午の貝をぶうぶうと鳴らし、茣蓙に寝ね、芙蓉の散るを賞し、そうして水前寺の吸い物をすするのである。 このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・上に二十尺四方の部屋を建築致す事に取極め申候是は壁を二重に致し光線は天井より取り風通しは一種の工夫をもって差支なき様致す仕掛に候えば出来上り候上は仮令天下の鶏共一時に鬨の声を揚げ候とも閉口仕らざる積に御座候」 かくのごとく予期せられたる・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・余が身体を拭いて、茣蓙の敷いてある縁先で、団扇を使って涼んでいると、やがて長谷川君が上がって来た。まず眼鏡をかけて、余を見つけ出して、向うから話しを始めた。双方とも真赤裸のように記憶している。しかし長谷川君の話し方は初対面の折露西亜の政党を・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・にもかかわらず、今日までこういう、即ち弁論部の御招待に預って、諸君の前に立った事は御座いませんでした。尤も御依頼も御座いませんでした。また遣る気もありませんでした。ただ今私を御紹介下さった速水君は知人であります。昔は御弟子で今は友達――いや・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・宿料は一週三十三円に御座候。あるいは御気に召さぬかと存じ候えども、御出被下候えば喜こんで室々御案内可仕候、敬具」。飯を食いながら呼鈴を押して宿の神さんを呼んだ。「とうとうあなたの方へ行く事にしましたよ。一週三十三円の下宿料なんかとうてい我輩・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・』『ああ、能う御座えますよ。』 二人はもう何も云う事がなくなった様に、互に顔を見てお居ででしたが、女の人は急に思出した様に、抱いて居た赤さんの顔を夫へお見せでして、『此子はお前さんの顔を覚えられねえけんど、お前さんは此子の顔を能く覚・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座に出されぬ下郎と称して可なるが如し。花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫