・・・ 小春凪のほかほかとした可い日和の、午前十一時半頃、汽車が高崎に着いた時、彼は向側を立って来て、弁当を買った。そして折を片手に、しばらく硝子窓に頬杖をついていたが、「酒、酒。」 と威勢よく呼んだ、その時は先生奮然たる態度で、のぼ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ その日午前九時過ぐるころ家を出でて病院に腕車を飛ばしつ。直ちに外科室の方に赴くとき、むこうより戸を排してすらすらと出で来たれる華族の小間使とも見ゆる容目よき婦人二、三人と、廊下の半ばに行き違えり。 見れば渠らの間には、被布着たる一・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・しかし、ちょうど使のものもあります、お恥かしい御膳ですが、あとから持たせて差上げます。撫子 あの、赤の御飯を添えまして。七左 過分でござる。お言葉に従いますわ。時に久しぶりで、ちょっと、おふくろ様に御挨拶を申したい。村越 仏壇が・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・はい、御膳。」「洒落かい、いよ柏屋の姉さん、本当に名を聞かせておくれよ。」「手前は柏屋でございます。」「お前の名を問うのだよ。」「手前は柏屋でございます。」 と上手に御飯を装いながら、ぽたぽた愛嬌を溢しますよ。 ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・僕も承知しているのだ、今御膳会議で二人の噂が如何に盛んであったか。 宵祭ではあり十三夜ではあるので、家中表座敷へ揃うた時、母も奥から起きてきた。母は一通り二人の余り遅かったことを咎めて深くは言わなかったけれど、常とは全く違っていた。何か・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 僕が十二月二十五日の午前に帰って見ると、庭一面に籾を干してあって、母は前の縁側に蒲団を敷いて日向ぼっこをしていた。近頃はよほど体の工合もよい。今日は兄夫婦と男とお増とは山へ落葉をはきに行ったとの話である。僕は民さんはと口の先まで出たけ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ ある日、正ちゃんは、学校のないので、午前十一時ごろにやって来た。僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」と言い出した。「面倒くさいから・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 向島の言問の手前を堤下に下りて、牛の御前の鳥居前を小半丁も行くと左手に少し引込んで黄蘗の禅寺がある。牛島の弘福寺といえば鉄牛禅師の開基であって、白金の瑞聖寺と聯んで江戸に二つしかない黄蘗風の仏殿として江戸時代から著名であった。この向島・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・それは明日午前十時に、下に書き記してある停車場へ拳銃御持参で、おいで下されたいと申す事です。この要求を致しますのに、わたくしの方で対等以上の利益を有しているとは申されますまい。わたくしも立会人を連れて参りませんから、あなたもお連にならないよ・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 此の新聞は午前の四時頃になると配達されるので常に家内のものが眠っているうちに戸の隙間から入れて行くのが例であった。私はもしこの時分に起きて家の外に出て道の上に立っていたなら、偶然にこの新聞配達夫が通り過ぎるのを見ないとは限らないと思っ・・・ 小川未明 「ある日の午後」
出典:青空文庫